いまさら?
それはたいてい、
前からやっていた人や、
昔やっていたけれど、
いまはもうやめてしまった人たちが
保身のために使うことばです。
「もうとっくにやってるよ」
「なんでいまごろそんなことを?」
そんなふうに、
ちょっとした自慢の気持ちをまじえて、
「いまさら?」と笑ったりします。
あたかも先に知っていたことや、
先に始めたことだけで価値があるように
見せかけてくるんですよね。
でも、よく考えたら分かります。
なにかを先にやった、
あとにやったかなんて、
たいした意味を持たないと。
早熟と晩熟のちがい以上に、
そこに意味はないのだと思います。
もし、先に始めたことに意味があるとすれば
その分、より謙虚であろうとする場合だけ。
それ以外に特別なことはなにもないと思う。
だからこそ、どんなに
出遅れているように思えても、
まわりがとっくにやり尽くしたことでも、
「わたし」にとってそれが新鮮で、
「ぼく」にとってちゃんと動機があるなら、
気持ちよく始めたらいいと思います。
たとえば、名人と呼ばれる料理人が、
「いまさらですが、ごはんの炊き方から
やりなおしてみたいです」なんて言ったら、
そのごはん、絶対食べてみたいです。
人は「もう分かってる」と思いはじめると、
なにかを素直に問い直すことが、
できなくなってしまう気がする。
分かった気でいることばかりが増えると、
それは少しずつ風化していく方向に
向かってしまうような気がするんですよね。
だから、迷いとか、揺れとか、
不安定な気持ちのなかにある問いこそが、
新しい出発のサインなんだと思います。
他人にとっては「いまさら」でも、
じぶんにとっては「これから」なら、
「いまさら」に見えるもののなかにこそ、
新しい扉はあるのかもしれません。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ほんとうのスタートは、
いつだって「これから」です。