なにかを選ぶということは、
それ以外の選択肢を手放すことです。
つまり「あきらめる」というのは、
「決める」という行為の一部でもあります。
たとえば子どもの習いごと。
ピアノと水泳、両方やりたいと思っても、
時間や費用の都合でどちらか一つに
しぼる必要があることもあります。
そのとき「やめたほう」は、
たしかに「あきらめた」ことになりますが、
それは同時に「やると決めた」ことの
裏側でもあると思うんですよね。
こういうあきらめは、
日常にたくさんあります。
進学や就職、住む場所、人間関係。
なにかを選ぶとき、人は無意識のうちに
それ以外をあきらめています。
でも、それは後ろ向きなことではなく、
じぶんなりに選び取った結果ともいえる。
かぎられた条件のなかで、
「いまあるもの」でできることを探す力は、
多くの場面で役に立つと思います。
資金や人手が十分にそろわないなかでも、
小さくなにかを始める人はいます。
理想の形には届かなくても、
いまの環境で動けることを考える人もいる。
そうやって前に進んでいくことが、
新たな可能性を生むこともある。
一方で「あきらめる」という行為が、
気づかないうちに心の深いところに、
影響をあたえることもありそう。
ほんとうは望んでいたことを、
「最初から興味がなかったんだ」と
じぶんに言い聞かせてしまうことは、
じぶんを守る方法のひとつではあるけれど、
同時に「ほしかった気持ち(望み)」まで
一緒に手放してしまうことにもなる。
なにかをあきらめたとき、
「手に入れられなかったもの」や
「(いまは)叶えられなかった願い」を
すぐに消してしまわないで、
こころのなかに置いておけたら
いいなと思うんですよね。
あきらめるという行為は、
なにかを見かぎることではなく、
じぶんのなかにある大切なものを
見きわめていく過程でもあると思います。
そしてそのときまで、
「いつかできたらいいな」と願う気持ちを
静かに持ち続けていることができたら、
じぶんの夢に近づく力になると思う。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
あきらめることが、
選ぶ力に変わる日がきっとくる。