人はずっと動いています。
感じる。思う、考える。
そして、"なにか"をする。
そうやって、人は毎日を生きています。
ことばでいうと、
ぜんぶ動詞になります。
「いる」も動詞ですから、
生まれてからずっと、人は動詞の連続を
生きているということになります。
眠るのも、動詞です。
気を失うのも、動詞です。
人の一生を短く書くなら、
「生まれた。死んだ。」です。
それだけでも、ひとつの人生です。
でも多くの人は、
それだけじゃなくて、
「生まれた。働いた。
子どもを育てた。死んだ。」とか、
「生まれた。戦った。畑を耕した。
井戸を掘った。死んだ。」とか、
いろんなことをしています。
まわりの世界に"なにか"をすることで、
その人の一生が形になっていきます。
では、「考える」「感じる」みたいな、
じっとしていてもできることというのは、
いったい、どういうものなのでしょう。
「この人はずっと黙っていたけれど、
ほんとうはいろんなことを考えていた」
そんなふうに言われる人もいます。
いまの時代のぼくたちは、
毎日ものすごい量の情報を浴びています。
江戸時代の人の一年分、
平安時代の人の一生分くらいの情報を、
たった一日で受け取っているらしい。
だから、たくさん反応して、
「なんか、すごくいろんなことをした!」
そんな気分になることもあります。
でも、ほんとうに大事なのは、
じぶんが世界になにをしたかです。
無口でも、あまり考えていなくても、
学んだり、一所懸命に遊んだり、働いたり、
庭の草むしりをしたり、世間話をしたり、
子どもと一緒に遊んだり、恋をしたり、
そういう"動詞"のぜんぶが、
その人の大切な人生です。
なにを言ったかじゃなく、なにをしたか。
それが"生きた証"になるのだと思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
人生はことばではなく、
行動で紡がれるもの。