鈍感も混ぜながら今日も元気に。 | わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

 なにかを発見したり感じたりするのは、

 ひとつの大切な能力のように言われます。

 

 そして、なにかを失ったり

 感じなくなったりすることは、

 あんまりいいこととは言われません。

 

 たとえば、とても悲しいこと。

 

 ほかの人はまだ気づいていないけれど、

 先に感じる人は感じてしまいます。

 先に見える人は見えています。

 

 そういうことに優れた人がいるから、

 詩とか物語とか歌とか表現にかかわる世界が

 豊かになってきたのだろうと思います。

 

 だけど、悲しいことを感じたままでいるのは

 とてもつらいことなんじゃないかな。

 

 たいていの人は、おそらく、

 ずっと悲しみを感じたままでは

 生きていけないでしょう。

 

 そういうときに、

 悲しみを見失うような方法があったら、

 この先、生きていくことについて、

 とても都合がいいのではないか。

 

 見失い、感じなくなることは、

 不純だったり、不人情だったりするのかな。

 よく考えたらそんなことない気がします。

 

 慰めだとか、

 気やすめだとか、

 気ばらしだとか、ある意味、

「見失わせたり忘れさせる道具である」

 という言い方もできますよね。

 

 ほとんどすべての人間は、

 ちょうどよいほどに弱いものだから、

 見つける以上に実は見失うことも

 勘定に入れていて、

 明日も元気に生きられるように

 調整しているのかもしれない。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 想像しないように語れるのも、想像力。