「これはもっと簡単にできないか?」とか、
「これ、もっと短くできないか?」とか、
「これ、いっそ無くしちゃえないか?」とか、
効率化というか、単純化というか、
基本的には「いいこと」とされてきました。
効率化できることは、効率化する。
これが仕事の進歩だったかもしれません。
鉄道の歴史なら、
鈍行で1日かかったような旅行が、
急行で早く行けるようになり、
新幹線がもっとそこまでの時間を縮めて、
その新幹線はリニア中央新幹線として
もっと速度をあげようとしています。
そういう効率化、進歩のかたちに、
ぼくらはすっかり慣れてしまいました。
そして、その逆の
「効率化しないものごと」については、
遅れたもの、価値の低いものというふうに
とらえるのが癖になっている気がします。
しかし、思ったのですが、
たとえば音楽をたのしむことって、
効率化できないんですよね。
アルバムのうちの1曲だけを聴くとか、
ワンコーラスだけ聴いてやめるはあるけれど
知るために聴くのではなく、
たのしむために聴こうと思う音楽なら、
ショートカットして聴く必要はありません。
1時間の演奏は、
3倍速にしたりすることもなく、1時間。
本や映画で「速読」とか
「ダイジェスト」をできるのは、
語られる意味を知りたいからで、
「たのしもうとする」なら、
効率化などしないで読んだり
観たりするわけですよね。
「効率化」と「たのしみ」って、
相容れないものなのかもしれない。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ライブコンサートの効率化って、
わくわくしないもんなぁ。