至極当然のことなのだけれど、
だれでも最初は上手じゃないわけです。
いろんな分野で言えることですが、
たまたまその分野に詳しい人だとか、
その分野で長くやってきた人というのは、
ついつい最初はだれもが下手だったことを
忘れてしまうような気がしています。
忘れてしまうというか、
じぶんが最初は下手だった記憶が、
薄くなってしまうのかもしれません。
どういうことができなかったとか、
さまざまな初心者ならではの疑問だとか、
できるようになってからではどうしても
思い出せないものがたくさんあります。
かけ算の九九とかもそうですよね。
できなくて苦労したはずなんだけれど、
苦しんだ記憶は薄れています。
自転車に乗れるようになるのだって、
さんざん苦労したはずなんですけどね。
よくおぼえていないんですよね。
だからほかの人が苦労している、
最初は下手の状態を、
「なんでそんなこともできないの?」とか
本気で不思議に思えてしまって、
呆れてしまったりするんですよね。
あ、最初からできてしまう、
一部の天才もこれと同じかもしれない。
名選手が名監督になれない理論です。
なにかを育てるのが上手な人は、
最初は下手を肯定したうえで、
ものごとにかかるんだと思います。
幼稚園の先生や小学校の先生だとか、
「育てる」とか「教える」を本職として
やっている人は原則としてそれを
よくわかっているのだと思います。
じぶんがその同じ領域の
「プレイヤー」の場合は、
どうしても腕くらべや目利き自慢を
したくなっちゃうので、
最初は下手な人たちに厳しくなります。
そういう意味で、
先生は子どもではないですから、
子どもたちと競うことはしません。
最初は下手の時期に、
のびのびと、しかも真剣に
続けることができたら、
いいんだろうな。
厳しく教えるよりも、
そういう環境をつくるほうが
きっとずっと大事だと思う。
最初は下手の時期に、
学べることは多いですからね。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
これは"じぶんを育てる"ときも、
同じなんだと思っています。