「知ってる」というのは、
それぞれちがっているのだと思います。
たとえば、ぼくらは犬を知っています。
あんなふうで、こんなふうで、そんな感じ。
それはたしかに
そのとおりだと思うのだけど、
犬を飼っている人の「知ってる」と、
だれかの散歩の様子をたまに見かけたり
「SNSで見るよ」くらいの人の言う
「知ってる」はぜんぜんちがいます。
だれでも似たように見える人間関係も、
当事者からしたらぜんぜんちがうでしょう。
トルコで大きな地震があったけれど、
ニュースを見ただけの「じぶんも知ってる」と
現場で悲惨な光景を目にしたり体験した人の
「知ってる」は似て非なるものだと思います。
「知ってる」というのは、
それぞれぜんぜんちがうんですよね。
ぼくの思うそれと、
だれかが思うそれはちうがう。
つまり、だれかのそれは、
ぼくのそれとはちがうわけです。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
誤解というのは、きっと、
おたがいに「知ってる」と思うものの
認識のずれに原因がある気がする。