孔子さんは論語のなかで、
「ほどほどがいいよ」と言っています。
でも、言うは易し行うは難しで、
「ほどほど(=ちょうどいい)」というのは、
いきなり分かるもんじゃないですよね。
で、あるならば、
最初から「ちょうどいい」は分からないと
割り切ってしまうのはどうでしょう。
そのうえで、
「やりすぎ」を考えてみると、
結果的に「ちょうどいい」が
分かるかもしれません。
たとえば、身長を
伸ばしたいと思っていたとします。
願いを叶える魔神があらわれて、
「おまえの身長を10mにしてやろう」と
望みを叶えてくれようとします。
「ん、10mはいらないな」と思いますよね。
それなら、9m,8m,7m,…
だんだん短くしていくと
「望みの身長」が◯mであることが
どこかで理解できると思います。
もしかしたら、望みの身長が
「いまのままでいい」かもしれない。
やりすぎや極端を考えると、
「そこまではいらない」「それはひどい」
「それじゃ意味がない」というように、
じぶんの本心が分かる気がする。
片時も離れなたくないという恋人たちに、
「それならどうぞ、どこでもドアです」と
移動の極端をプレゼントしたら、
最初は喜んでくれるかもしれないけれど、
困ることもいろいろ出てくるでしょう。
結局「ちょうどいい距離感」が分かって、
どこでもドアはいらないとなりそうです。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ほどほどは、きっと、
やりすぎを考えないと分からない。