若いときの苦労は買ってでもしろ。
そういう言葉があります。
ある程度経験を積んできた人間なら、
「そうだそうだ」と言いやすい言葉です。
じぶんが重ねてきた苦労をふりかえり、
いまにして思えばあのつらい日々も
大事な経験だったと信じるからこそ、
「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言う。
あるいは、恵まれた環境に生まれ、
順調なキャリアを歩んできた人を指して
「あいつは苦労を知らない」と否定する。
たしかに、エリートとされる人たちは、
苦労を知らないのかもしれません。
今週の飯が食えないとか、
家賃が払えないとか、
そういうタイプの苦労は
経験していないかもしれない。
けれども、苦労を知らないエリートが、
努力を知らなかったり、
それを怠っているわけではないと思います。
むしろ環境が整いすぎているがゆえ、
人一倍の努力を求められることもある。
中途半端な苦労は、
ニーチェの言うところのルサンチマン
(弱者が敵わない強者に対して内面に抱く
怒り、怨恨、憎悪、非難、嫉妬といった感情
弱いじぶんは善であり、強者は悪だという
価値の転倒)につながることも多く、
「若いときの苦労は買ってでもしろ」には
どうしても慎重になってしまいます。
恵まれた環境にいる人を
うらやましく思う気持ちは
だれにだってあります。
でも、いざその環境を与えられたじぶんが、
いま以上の努力をするかといったら、
それはどうでしょう、ちがう気がする。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
若いときの苦労は買ってでもしろ。
ある程度は正しいと思いますけれど。