口がひとつに耳ふたつ。 | わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

 どんな表現でも、どんなことばでも、

 どんな教えでも、どんな情報であっても、

「受け手」がいなかったらなにもありません。

 

 千年にひとつの研ぎ澄まされた発信も、

 だれにも受けとめられないままであれば

 意味も価値も生まれぬまま藻屑と消える。

 

 なにかのかたちで残っていれば、

「受け手」が見つかる可能性はあるけれど、

 見つけた者がクズだと思って捨ててしまえば

 結局なにもなかったことになってしまう。

 

 いまの時代、人びとは精一杯に

 口達者なり正論をしゃべろうとします。

 

 でも、たぶんほんとうは、

 口の前に育てるべきは聴くための耳であり、

 じっと見るための目なんじゃないかな。

 

 どちらも「受け手」としての力の元です。

 

 質のいい「受け手」が育つことで、

 質のいい「送り手」が出てくるのだと思う。

 

「送り手」の「送りもの」が理解され、

 もっといいものが豊かに増えていく。

 

 土も水もないところで

 芽が出てこないのと同じように、

 質のいい聞き手(受け手)がいないと

 なにも生まれないのだと思います。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 質のいい受け手になるために必要なのは、

 なにかの資格や才能というより、

 それを「たのしもうとする気持ち」と

「ひとを敬おうとする」ことだと思います。