言っても仕方のないこと、つまり愚痴。
だれかに話したところで、
なにかが解決するというわけじゃないのに、
ひとはどうして愚痴を言うのだろう。
そんなに言いたいわけでもないのに、
聞いてもうれしくもなんともないのに、
なぜひとは愚痴をやめられないのか。
たぶん、愚痴というのは、
共感を期待して言っているのだと思います。
「朝早くからダルいよね」という愚痴は、
「ほんとだよね」という共感の声を期待して
言っていると思うんですよね。
これと似たようなことで、
ちょっと昔の歌も(演歌とか)
そういうところがあると思います。
なにかと「わたしバカよね」と歌い、
「そうそう、おれもバカだよ」と聴くひとに
共感してもらいたくて歌っている節がある。
そもそも歌というのは、
そういうことを信じて歌われていると思う。
「わたしバカよね」の歌に対して、
「自己卑下はやめろ」とか「愚痴を言うな」と
批判されてしまったら歌えませんからね。
きっと、歌というのは、
歌うひとと聴くひとの信頼関係があって
成立しているものなんだと思います。
ネット上での発言のやりとりの
いちばん弱い部分はそこだと思います。
「論」をぶつけ合ってしまいやすい。
ひとはいつも正しいことだけを
口にするわけじゃないですからね。
ただのでまかせも言えば、
泣き言も、うそも、品のないことも、
下ネタも、じぶん勝手なことも、
いろいろ口にするでしょう。
それがすべて「こうあるべき」という
「論」として扱われるのは息苦しいですよね。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
土も水もないところで
芽が出てこないのと同じように、
質のいい聞き手(受け手)がいないと、
なにも生まれないんじゃないか。