借りもののことばで
語っているのだけれど、
じぶんのものになっている
ことばはあると思います。
いっぽうで、たしかに
じぶんのことばで語っているのだけれど、
なんとなくフワフワしてしまっていて、
地に足のついていない気がする
ことばもあると思います。
借りものでも、オリジナルでも、
ことばがじぶんのものになるかどうかは、
すでにじぶんのなかにイメージがあって
そこにことばにハマるか否かが
重要になってくる気がします。
だから、まずことばがあって、
そこに想いが入るという順番ではなく、
じぶんのなかにすでに存在している
仮定を含んだあやふやなイメージが
ことばという枠にハマることで
外に滲み出てくるというのが
"生きたことば"になるための
正しい順番なんじゃないかな。
ただ「知っている」というだけでは、
ことばは生きてこないんだと思います。
じぶんはどう思うか。
じぶんならどうするのか。
じぶんはなぜそう感じるのか。
考えるを経ていないことばに、
たぶん命を宿らないのだと思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
論調に同調するだけの批判や、
権威に服従するだけの賞賛は、
生きたことばではないと思う。