・日本で本格的に
推理小説が成立するようになったのは、
1964年(昭和39年)の東京オリンピック
以降の話なのだそうです。
それまで、日本の家屋では
鍵なんてかかっていなかった。
ゆえに、鍵を使った密室殺人が成立せず、
殺人や窃盗の事件は『捕物帳』に
ならざるをえなかったのだとか。
そういえば、仲居さんが
自由に出入りする温泉旅館なんかは
その名残があるように思います。
やたらセキュリティが厳しくなって
社員証や入館証がないと出入りできない
オフィスビルなんかでも、いったい
だれから"なに"を守っているのか
じつのところわかっていない
日本人は意外と多いと思う。
・推理小説が成立する以前のひとたち…
たとえば明治のひとたちは、
夏目漱石や森鴎外を流行作家とし、
庶民があたりまえのように
その作品たちにふれていたということで、
「明治の庶民は教養が高かった」という
論説を見かけることがあります。
いや、それはそうなんだろうけれど、
明治の家屋に"鍵"が存在していたとして、
庶民の意識に"鍵"の存在があったなら、
漱石や鴎外も、もしかしたら、
よろこんで密室殺人のミステリーを
書いていたかもしれないわけで。
むかしのひとは偉かったの文脈って、
先人のすばらしさを称賛するというより、
目の前のひとの愚かさを糾弾したい
だけということ、ありますよね。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
逆もまた然りで、
いまの時代背景や価値観から、
むかしのひとの言動を揶揄するのも
やっぱりちがうと思うんですよね。