小説の"いいところ"は、
一冊丸々を読みきったところで
人生にすぐに役立てられるような
知識がほぼないことだと思っています。
いわゆる実用書には、
どうすればいいかの"解"が
書かれているわけですが、
小説に書かれているのは、
"解"ではなく"問い"です。
実用書や自己啓発本には、
「こう生きるべき」とか「こう考えよ」
といった示唆が書かれているけれど、
小説はそのまま使える知識ではなく、
じぶんなりに咀嚼しなければならない
命題のような"問い"が書かれています。
つまり、そこに書いてあることを
ただ盲信して動くための本ではなく、
そこに書いてあることはなんだったのか、
筆者は世界をどう把握していて
一生をかけて紐解こうとしている"問い"は
いったいなんなのかを"考えさせる本"が
いい小説の特徴のように思います。
ぼくらは迷ったり悩んだりすると、
すぐに"解"を求めたくなってしまいます。
ゆえに世の中には、
"解のようなもの"があふれているけれど、
"解"が外側からもたらされることは
たぶんきっとないのだろうなぁ。
解は、必ずじぶんのなかにある。
…と、思っています。
他人の"解"は、
そのひとの問いへのこたえであって、
じぶんの問いへのこたえと厳密には
同じではないのだと思います。
だから、他人の成功体験を
そのまま真似してみたところで
同じようにはいかないのでしょう。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ひとに会うときも同じで、
そのひとがどんなことをして
どんな結果を出しているかでつながるより、
世界にどんな"問い"を持っているかで
つながるほうがうまくいく気がする。