たとえば卒業文集を読み返すと、
穴に入りたくなるほど恥ずかしくて
「なんでこんなこと書いたんだ」と
昔のじぶんを責めたくなります。
今、こうして書いている文章も、
何年も先に読み返す機会があったら
同じように思うんじゃないかな。
でも、そんなふうに、
「あの頃なんてバカだったんだ」と
思えるじぶんでいられることは
しあわせなんだと思います。
昔のじぶんが知らなかったこと、
わかっていなかったことを吸収して
ひとまわり大きくなったからこそ
過去のじぶんを恥ずかしいと
思うことができるんですよね。
与えてもらう側にいたとき
抱えていた不平不満のあれこれも、
与える側になった瞬間から
「なんてわがままだったんだ」と
反省して見方が変わるという経験
だれでもあると思います。
過去を恥ずかしいと思えるのは、
より高い所に登っている証拠であり
ひとまわり大きくなった証拠です。
そしてそれは、
あとから頭を抱えるほど
恥ずかしいと思うとわかっていても
形として残すべきだと思います。
柱に身長を刻むように、
どこかにじぶんの成長の軌跡を
残しておくということは、
過去のじぶんと今のじぶんの差を
感じられるツールになります。
たとえ小さな成長だったとしても、
そのひとつひとつが自信につながり
今日を生きる力になると思うから。
今日も、「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
ここにも、
何年も前の記事があるけれど、
ほんとはすごく恥ずかしい。