じぶんがおもしろいと思っても、
なんの役にも立ちそうになければ
"くだらないこと"に分類されて
日の目は見ないかもしれません。
でも、そんな"くだらないこと"も
だれかに話してみたならば意外と
「それめちゃおもしろいじゃん!」と
膨らみ転がされて大きな"なにか"に
化ける可能性があると思うんです。
そういうことって、
あとで思い返しても
だいたい忘れてる。
だれかに話す機会がないと
消えてしまう化ける可能性のある
"くだらないこと"っていうのが
結構あると思っています。
その化ける可能性のある
"くだらないこと"の名前を
たとえばアイデアと呼ぶなら、
発表の場がないというのは
非常にもったいない。
そういう意味では、
教室で仲良し同士で話す
"くだらないおしゃべり"は、
非常に有意義だと思います。
インターネットが普及して
ブログやSNSでだれもが
発信できるようになったことに
これまで多くの人が賛否両論
いろいろ言ってきたけれど、
この技術革新の本質は、
これまで消えていっていた
"くだらないこと"に
受け皿ができたことです。
"つぶやく"の本来の意味は、
ひとりごとです。
でも、ツイート(つぶやき)の
向こう側に大勢の人がいることを
つぶやく人は分かっています。
じぶんが考えたことを
だれも聞いていないのなら、
考えることをやめてしまうかも。
やめることはなくても、
"くだらないこと"ではなく
だれかに耳を傾けてもらえるような
"役に立つこと"ばかりを
考えてしまうかもしれない。
"くだらない"ことが
残ってる社会でよかったな。
今日も「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
カタチにならなかった
無数のクリエイティブに
受け皿ができたことで、
"くだらない"が化けた。