"AI(人工知能)に仕事を奪われる。"
馬車を操縦する人(御者)は、
クルマの登場で仕事を奪われた…
だから、たぶんきっと、
AI(人工知能)が社会に浸透すれば、
クルマの登場と同じように
人間は機械に仕事を奪われる。
AI(人工知能)の議論のなかで、
この「仕事を奪われる」の議論は
よく危惧されていることです。
今後10年で「なくなる仕事」と
オックスフォード大学が発表して
90%がいずれコンピューターに
とって代わられるなんていうから
なおさら心配になってしまう。
でも、この議論で言われている
「奪われる」という表現というのは、
労働が、人間の必須のものとして
扱われているんですけれども、
歴史をさかのぼって調べてみると
(数千年の範囲で考えてみると)
それはじつはごく最近の話なんだと
いうことがわかると思うんです。
もともと、火や電気がない時代に
働ける時間はごく限られていました。
身分や階級によって社会が
わけられているような時代には、
貴族や武士といった人たちは
労働とは無縁であったわけです。
労働の対価として
受け取った賃金で生活するという
いまの図式ができあがったのは、
産業革命以降に資本主義が
社会に浸透してからですから、
だいたいこの300年の間の話かな。
・スマホがあるから、
腕時計を持たなくなった、と
いう人がたくさんいます。
固定電話も、カメラも、ゲームも
手帳も、カレンダーも、あれもこれも
ぜんぶスマホ1台でOKです、と。
テクノロジーの進化って、
労働者の収入を減らすと同時に、
消費者の支出も減らすんですよね。
30年前の日本の土曜日は
休みではありませんでした。
テクノロジーと経済の進歩は、
全体の労働時間を減らしながら
生活を確実に豊かにしていく…
人類を労働から解放する、
という見方もできるのかな、と。
"AI(人工知能)に仕事を奪われる。"
この表現は、現在の労働環境が
「あたりまえ」に今後も続くものとして
表されていると思うんですけれども、
はたしてそれはどうなのかな、と。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
AI(人工知能)が活躍する、
生産性が劇的に向上した社会。
ちょっと極端にたとえれば
「どこでもドア」のある社会では、
運転手さんはいなくなるけれども
交通費はかからなくなりますね。