数の多い少ないで
それに対する人の印象って
ぜんぜんちがう、ということを
先日記事にしたんですけれど、
「遠いと、近いも、
数の多い少ないと同じように、
その印象を大きく変えますね。」
と、感想をメッセージで
読者の方からいただきました。
なるほどなぁ。
たとえば、そうだな…
破天荒な昭和のスターの狼藉を
なつかしそうに話す人たちは、
それが魅力的だったんだよ、と
語ることが多いですよね。
それは、きっと、
そのスターがじぶんにとって
〈遠い〉存在だったからなわけで、
〈近く〉にそんな狼藉者がいたら
たいへん迷惑だったと思うんです。
近くにいたら迷惑だけれど、
遠くにいるぶんには、おもしろい。
そいうことって、山ほどありそう。
青春時代を魅力的に語る人は、
たいていが大人(そこから遠い人)だ。
その真っ只中にいる若者(近い人)が
「あぁ、青春時代は最高だぁ」とは、
あんまり言わないんじゃないかな。
遠くにあるものは、
めちゃくちゃでいい。
いや、めちゃくちゃであってほしい。
そういう願望が人にはあるのかも。
ほんとうに残酷で身勝手だけれど、
遠くでありさえすれば戦争であっても
おもしろく、たのしくしたりします。
いま現在、同じ時間のなかであれば
さすがに遠慮すると思うのですが、
過去(遠い)にあった戦争であれば
娯楽として実際にたのしんでいます。
それが近くのものになると、
めちゃくちゃでは困ってしまう。
近くにあるものは、礼儀正しく親切で
健康で安全でなくてはならない、と。
めちゃくちゃは生命維持の本能と
矛盾するものであるわけですからね。
じぶんが魅力的に思っているものにも
それが遠くにあるからこそ惹かれてる
というものが、あるんだろうなぁ。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
先日、とある芸能関係の方と
ごはんを食べる機会がありました。
テレビのなかではめちゃくちゃな彼も
実際に〈近く〉で会うと紳士でした。
芸の人っていうのは、もしかしたら、
〈遠く〉と〈近く〉を行ったり来たり
自由にできる人なのかもしれない。
