ボクシングというスポーツは、
「痛み」があるゆえに成立している
スポーツですよね。
いや、ボクシングに限らず、
格闘技全般にいえると思うけれど、
「痛み」がなかったらタップ(降参)が
なくなるわけですから、
スポーツとして成立しないはず。
もし、痛みを感じない人が
ボクシングをやってしまったら
身体がたいへんなことに
なってしまうでしょう。
痛くないということは
恐怖も感じないはずだから、
「肉を切らせて骨を断つ」という
大胆な戦法も採用しやすいけれど、
たぶん、それが強いことと
同じにはならないんだろうな…。
そもそも、人間は、
痛みに敏感で臆病だったゆえに
過酷な生存競争を生き抜いてきた
という歴史がありますよね。
素手で殴ったら痛いから
棒を使って攻撃しようとか、
痛い目にあいたくないから
危険な場所を一所懸命避けたりして。
結果、それらの行動は、
生存確率を上げることになり、
人間よりもずっと強かったであろう
その他の動物たちを差し置いて
ピラミッドの頂点に君臨している。
ちょっと当たっただけで
すぐに「痛がる」ことができるは
高性能センサーを持っていると
同じなのかもしれないな。
「痛み」は「弱さ」を自覚させ、
じぶんは他よりも「弱い」ゆえに
生き抜くために「知恵」をつかう。
あれ、ということは、
「痛み」は、人間が生き抜くための
立派な能力だったのかも。
痛くないふりをしたり
痛みを感じないようにするよりも、
痛みを感じながら考えるほうが、
生きるためには重要なのかも。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
「痛み」に敏感なリーダーは、
ありとあらゆる「知恵」をつかって
戦争を回避するんだろうな。
だって、めちゃめちゃ痛いもの。
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(徳留健勝インタビュー)