「バガボンド」小次郎の強さの理由(わけ)と、音のない世界のにぎやかさ | わくわく海賊団

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 漫画『バガボンド(井上雄彦)』で、

 佐々木小次郎は〈耳が聴こえない〉

 という設定になっているんですが、

〈耳が聴こえない〉小次郎について、

 武蔵が想う場面があります。

 

 

 目をとじて、

 耳栓をして(小次郎のように)

 音を遮断する武蔵。

 

「無音ではないのだな。

 内側は、にぎやかだ。

 骨が擦れ、軋む音。

 息を吸う音、吐き出す音。

(中略)

 さらさらと流れる

 この微かな音はなんだろう?

 途絶えることなくずっと

 聴こえているんだろう。

 そうか、この音、

 水の流れに間違いはない。

 そうか、小次郎。

 お前の内側には、いつも、

 川が流れているのか…。」

 

 バガボンド33巻より

 

 

 この場面をはじめて読んだとき、

 武蔵の真似をして目をとじて、

 耳栓をしてみると(ぼくの場合は)

 心臓の音(ビート)がドクンドクン

 いちばん大きく聴こえていました。

 

 ゆっくり目をあけると、

 雲の形が変わっていたり

 時計の針が進んでいることから、

 目に見えないはずの『時間』が

 確かに流れていると理解できます。

 

 でも、目をとじたままでも、

 心臓の音(ビート)や呼吸のリズムが

 確かに『時間』が流れていることを

 教えてくれているということにも

 また気がつくわけです。

 聴こえる時間というのかな。

 

 小次郎と死闘を繰り広げてきた相手は

 その〈*斬り合い〉のなかで、

(*言葉のない会話と表現することも)

 小次郎のいる『聴こえない世界』の

 壮大さに強さの理由を見ます。

 

「ずるいや。

 誰にも邪魔をされずに

 こんなにじぶんと

 会話ができるなんて…」

 

 にぎやかな内側で、

 生きている小次郎の強さの理由、

 斬り合わないでも

 なんとか体感できないかな…。

 

 たとえば、美術展で

 発狂するほど感動する人は

 ほとんどいないでしょう。

 でも、ライブやコンサートでは、

 失神したり発狂したり、

 もの凄く大きな興奮を得られる。

 

 なんとなく、視覚よりも

 聴覚から得られるエネルギーのほうが

 強力なんだろうなと予想できます。

 

 じぶんの目で

 じぶんを見ることはできないけれど、

 じぶんの耳で

 じぶんを聴くことはできるんだな。

 

 心臓のビート(音)がとまるとき、

 ぼくの時間もなくなるというのも

 これまた、おもしろいな。

 

 今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。

 

 剣に生きると決めたなら

 正しいかどうかなどどうだっていい。

 感じるべきは、楽しいかどうかだ。

 

 バガボンド32巻より

 

 バガボンドで小次郎を

 耳が聴こえない設定にしたのは、

 たわむれに音を閉ざし、

 純粋に剣を楽しむ小次郎を

 表現したかったからなんだとか。