「バイト先の制服の
オシャレ(アレンジ)について」
電車の中で女子高生が
議論していたのを(勝手に)きいて、
そのことについて(勝手に)
ぼくも考えてみました。
電車に乗っている間の
ほんの数十分で考えたことです。
浅~い考察ですので、
あらかじめご了承くださいませ。
接客の仕事をしていると
「オシャレは、じぶんのため。
身だしなみは、お客さまのため。」
という言葉をよく聞きます。
彼女たちの話しを(勝手に)
詳しく聞いてみると、彼女らは、
バイト先での服装について、
店長さんから叱責されたようです。
ただ、彼女らの言い分が、
決して間違っていると断言できず、
その主張に共感する部分もあったため
(勝手に)その問題について
ぼくも考察するに至ったわけです。
彼女らの言い分はこうです。
「制服にオシャレな要素はいらない、
と、店長は言うけれど、
じぶんのための
オシャレじゃなくて、
お客さんのためのオシャレって、
わたしはあると思う。
制服を(正しく)着て、
みんなと同じように笑って、
そうすれば(店長は)
お客さんが喜ぶと思ってるのかな?
『お客さんを喜ばせろ』って
いつも言っている店長はさ、
実際に言っていることも、
やっていることも無難なこと
ばっかりじゃない。
わたしなりにお客さんを
喜ばせるにはどうすればって
必死に考えたんだけどさ、
それには『わたし』を出すしか
ないと思ったわけよ。」
それをきいていた、
もうひとりの彼女が、
「それを店長に言えばいいじゃん」
「店長、わたしのこと
バカだと思っているから
全然きいてくれないわけよ。
終いには、
『お客さまが喜んでいるのは
お前の接客じゃなくて
店の提供するサービスだ』とか
意味の分からないこと言い出して。
つまり、わたしたちのことを
取り替え可能な道具みたいに
思ってるってことでしょ?
道具は黙って言うこと聞けってか」
つまり彼女らの話しをまとめると、
「身だしなみ(外見)は
どうでもいい」と、
思っているわけでは決してなく、
中身(わたし)と外見の相互性を
店長さんよりもとても重要に
とらえているといえそうです。
そして、人を感動させる接客は、
誰がやっても同じ接客ではなくて、
他の誰でもない、替えの効かない
「わたし」でこそ成し得る、と。
細かいところをいえば、もちろん
突っ込みどころ満載でしたけれど、
そのスタンスは凄く好きです。
応援したくなる電車内で出会った
女子高生のお話でした。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
数ある企業が、女子高生に
コンサルティングをお願いする、
という話がよくあるけれど、
流行に敏感ということ以外でも
彼女らの話って、確かに
おもしろいと思います。