学校の昼休みに、
校庭でギリギリまで
遊んでいた生徒たちは、
次の授業のチャイムが鳴る頃に
教室に猛ダッシュで
駆け込んできます。
教室の出入口は、
前後にそれぞれ1つだけですから
その時間はかなり危険です。
廊下から猛スピードで
駆け込んでくる生徒と
激突してしまう可能性があります。
と、いう問題があったとして、
解決するためにはどうしましょうか。
・予鈴がなっても
校庭でまだ遊んでいる生徒たちに
指導して移動にゆとりも持たせる。
・廊下を走る危険性を伝え、
それでも走る生徒には
ペナルティを与える。
・学級活動で、生徒たち自らに
その問題について話し合わせ
解決策を提示させる。
よくある解決方法は、
こんな感じでしょうか。
一般社会でも、
問題の解決方法は似ていて、
法律や規制、罰則を作ったり、
または、権威ある人に
影響力を行使してもらったり、と、
だいたいそんな感じです。
問題が起きたとき、
それを規則やルールで
解決しようとする組織は
たくさんあります。
しかし、規則(ルール)と罰は、
いつでもセットになっています。
破れば必ず罰がある。
それが嫌でも、規則(ルール)を
守らなければ罰という力で
無理矢理に押さえつけます。
問題があると、
すぐに規則の強化で
解決しようとすることに
ぼくは疑問を感じます。
「破ったら恐いぞ」という方法は、
集団や組織には
どうしても必要だ、というのも
確かに分かるけれども、
そういう集団や組織に
魅力を感じるかな、と。
たとえば、全体主義の
ビシッとそろった行進をみて
「この国は魅力的だなぁー」と
ほんとうに思うかな、と。
さっきの廊下を走る生徒たちの話、
たとえば、こんなのはどうでしょう。
・先生が5分前に
すでに教室に来ていて、
その5分間だけ、スペシャルな
とてもおもしろい話をしてくれる。
話はとてもおもしろく、
その話を聞きたければ
5分前に教室に
戻って来なくていけない。
そして、時間通りに授業がはじまる。
話は変わるようで
変わらないのですが、
「掃除をサボるな。
サボったら明日も掃除やらせるぞ」
という思考法からは、
ロボット掃除機の発想は
きっと出ないと思います。
問題が起きたとき、
すぐに規則や規制のことを
考えるのではなく、
人が動く理由や仕組み、
人間の気持ちや感情のことについて
考えるほうが、集団や組織、
そうだな、きっと、
社会のためになるんじゃないかな。
おもしろいことを思いついて
「よし、やってみよう」となったとき
世の中にはびっくりするほど
規則や規制があることが分かります。
「廊下を走るな」からはじまって、
規則や規制の中でずっーと
ぼくらは生きているわけですが、
じぶんの欲望を(無意識のうちに)
抑え込む癖がついてしまって
いるのかもしれないな、と。
今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。
できない理由ばかりを言う人も
きっと、規則や規制の中で
生きてきた症状のひとつかも。
できない理由じゃなくて、
どうすればできるかを、いつも
考えていたいな、と思っています。