
一匹の魚がいます。
魚は、さる山のさるの中で暮らしています。
魚は、さるのように上手に木に登れないものだから、
じぶんのことを能無しだと思っています。
一匹のさるがいます。
さるは、海の中で魚たちと暮らしています。
さるは、魚のように上手に泳げないものだから、
じぶんのことを能無しだと思っています。
みんなと同じようにできないことが、能無しなのではないはずです。
魚が、さる山でじぶんの能力を発揮できないことは、
さるが、海でじぶんの能力を発揮できないことは、
能無しなのとは違うと思うんです。
だけど、木に登る能力によって魚を評価するのなら、
魚はじぶんのことを一生能無しだと思って生きていくんだと思います。
泳ぐ能力によってさるを評価するのなら、
さるはじぶんのことを一生能無しだと思って生きていくんだと思います。
魚は、海に戻ればいい。
さるは、さる山に帰ればいい。
そんなふうに、彼らがいる場所が悪いと思ってしまいそうですが、
ぼくはそうではないと思っています。
評価する能力を変えればいいんだと思うんです。
さる山の魚を、他のさると同じように、木に登る能力で評価するのではなくて、
海のさるを、他の魚と同じように、泳ぐ能力で評価するのではなくて、
さる山の魚の泳ぐ能力を、海のさるの木に登る能力を、
まわりに惑わされずに評価できれば、「まわりと違う」がプラスの能力にもなる。
ぼくは、そんなふうに思っています。
今日もわくわく海賊団にきてくださってありがとうございます。
学校の勉強ができなくても、スポーツが得意じゃなくても、
みんなと同じように生きていくことができなくても、
なにひとつとして能無しの理由にはならないと思っています。
▼関連記事
発達障がいは才能。特別支援学級を勧められた親戚の子の将来に期待大な理由。