わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

原宿セントラル食堂のメニューと人々

 

 カップ麺って、

 どうして3分で食べられるんでしょうか。

 

 お湯を入れて待つだけで完成するー

 あの"手軽さ"の裏には、

 ぼくらの「めんどくさい」という気持ちを

 よく知っている人たちの努力があります。

 

 きっとその人たちは、

 ぼくらがラクできるように、

 たくさんの手間とコストをかけて

 カップ麺をつくっています。

 

 はたらくとは、つまり

 こういうことなのかもしれません。

 

「ラクしたい」という気持ちを、

 甘えだと決めつけるんじゃなくて、

 その気持ちを手助けしてあげる。

 

 それが、はたらくということ。

 

 たとえば、食器を洗うのがめんどうなら、

 食洗機という工夫が生まれます。

 

「めんどくさい」という気持ちが、

 新しい仕事を生み出していくんですね。

 

 どうしても「がんばらない人」って、

 責めたくなってしまいますよね。

 

 でも、正直ほんとうは、

 みんな少しずつ怠けたいし、

 できることならラクしたいはず。

 

 その「わがまま」を

 "ニーズ"として受けとめるところから、

 仕事ははじまるのかもしれません。

 

「なんであいつはやらないんだ」と怒るより、

「どうすればやらなくて済むか」を考える。

 

 そのほうが、きっとずっと

 建設的で、創造的で、わくわくします。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 めんどくさいと思うことを、

 だれかが"かたち"を変えたとき、

 それが"はたらく"のはじまり。

渋谷スクランブル交差点の賑わい

 

 だいたいのものは、一定速度で

 直線的に進むわけではありません。

 

 速度を落としたり、

 停滞したり、カーブを切ったり、

 盛り上がり下がったりしながら進みます。

 

 ただ、それに関わる人たちは、

「これで行こう」となった状態を保ったまま、

 キープして進めていこうとしますよね。

 

 でも、ふと思ったんですけどね。

 そんなふうに規則的で安定的な進み方って、

 なかなかあるものじゃないですよね。

 

 ほとんどのものは、そう、

 川の流れのようになります。

 

 曲がりくねったり

 勢いを増したり緩やかになったり、

 ドラマチックな展開で流れていきます。

 

 それなのに、どうしてでしょうね、

 そういう思考になっていないんですよね。

 

 分厚い問題集を

 一日に何ページやれば何日で終わる。

 そんな砂時計みたいな考え方が、

 いつのまにか身についていた。

 

 時間のかかる仕事を

 うまくいかせたいと思っているときにも、

 個人が人生の設計をするときにも、

 ローン返済の計算みたいに分割して、

 掛け算していけばいいという考え方です。

 

 大きくカーブを切るとか、

 急なジャンプをするとか、

 いったん身をかがめるとかが、

 絶対に必要ですよね。

 

 どんなことをやっているときにも、

 途中途中で、新しいアイデアや、

 "意図的な変化"がないと衰えてしまいます。

 

 たとえば、鉄道の駅が、

「駅」のままじゃなく商業施設になったり、

 電話が声の伝達から携帯型コンピューターに

 発展したり、同じことを確実にやってても

 起こらなかったことばかりです。

 

 人間の脳っていうものも、

 安定しよう安定しようとして、

 懸命に賢明に働いているけれど、

 ときに乱すのも必要なんでしょうね。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 油断するとすぐ

 砂時計的思考でものごとを

 とらえてしまっている。

恐竜サファリへの注意喚起看板

 

 人類はすごく心配性だったから、

 生き延びてこられたんだといわれます。

 

 じぶんも人類のひとりとして、

 そのことは、よく分かる気がします。

 

 大胆だの、冒険的だのということが、

 こんなに人をわくわくさせてくれるのは、

 人類が大胆でも冒険的でもないからです。

 

 火のなか、水のなか、

 平気で飛び込んでいく…みたいなことを、

「あたりまえだ!」と思っている人は、

 わくわくもドキドキもしませんね。

 

 過剰なくらいに心配性だからこそ、

 くれぐれも命を失ったり、

 持っているものを無くさないように、

 準備したり安全確保しようと工夫する。

 

 ときには心配性が過ぎて、

「やられないうちにやっちまえ!」と、

 悪い意味での工夫もしてきました。

 

 怖いものを怖いと思わない人間だったら、

 映画でも早々に退場(お陀仏)してしまう。

 

 つまりは、ヒーローだって、

 命知らずじゃ成立しないわけです。

 

 身を守りつつ大活躍するには、

 意地と度胸ばかりではなく、

 知恵と工夫とある種の"ずるさ"が、

 必要になるということでしょう。

 

 ふだん、いろんなものごとに

「安全や確証」ばかり求めたがる社会に、

 そういうことに過剰になって苦しむのは、

 結局、じぶん(人間)たち自身じゃないかと

 思ったりしているわけなんですが、

 本質的に人類の方向性っていうのは、

 こっちの方向なんでしょうね。

 

 でも、冒険や

 ある種の無謀がなかったら、

 人類はうまくやってこられなかったのも、

 これまた事実なわけですよね。

 

 火をあつかう。

 海に出る。

 空を飛ぶ。

 宇宙へ行く。

 

 新しい時代を切りひらいたのは、

 そういう一歩目を踏み出した人が…

 リスクをとった人がいたからです。

 

 ここでもうひとつ、

 心配性な人類の工夫があります。

 

 それがリスクをとった個体への

「名誉と、賞賛」です。

 

「すごい」「真似できない」

「英雄だ」「よくやった!ありがとう」

 

 冒険した人を讃える文化が、

 本質的に心配性で安全第一の人類が、

 今日まで生き延びてきた工夫であり、

 生存戦略だったといわれています。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 安全のなかで拍手しながら

 "生きる知恵"を磨いてきたのが、

 人類なのかもしれません。