連載 幼稚園・小学校受験合格バイブル
「日本女子大豊明(2)」 第六章無宗教系附属編(30)
日本女子大学附属豊明の育ち
豊明幼・小では、カソリックのように声を潜めるかのような話し方や、神経質な接し方は母子共に不要ですし、それでは逆に豊明で学ぶ意味がありません。思った事を堂々と述べ、行動する日本女子大生らしさは幼稚園から染み付くのです。
当然の如くですが、清楚なお嬢様の姿を期待する父親には不人気ですし、はっきりと毛嫌いする方もおられて、学生時代か職場で過去に嫌な思いでもあったのではと思って苦笑します。日本男性の女性に対する接し方は地域や育ちによって様々ですが、附属の実態をよく知らない父親の中にそのようなイメージを持った方がおられるのが興味深いところです。
このような豊明の体質はやはり創立者の成瀬仁蔵の精神が現代に繋がっているからでしょう。成瀬仁蔵は明治の三大教育者(他に福澤諭吉・新島襄)の一人で、プロテスタント教会の牧師として米国留学で女子教育を学び、帰国後「女子教育(1929年)」を出版し「実業を重んじ、労働を恥としない精神を女子の頭脳に吹き込む必要性がある。そして様々な境遇にあるすべての女性に対して、天職を持つことにより人間として自立することを目指せ」と世の女性たちに説きました。
当時の女性を取り巻く社会情勢は厳しいものがありましたが「女子の天職」として「賢母良妻」をあげており、「良妻であり賢母となる為には学びが必要であり家政学を研究し、知識と経験を積むべきである。」として家政学(社会学・倫理学・教育学・審美学・衛生学・看病学・料理学を学ぶ事)のあり方を世に広めました。
成瀬仁蔵の思想は二十世紀初頭の世の中ではかなり進歩的な考えでしょう。彼の大学講義は能弁ではないが雄弁であり、机を叩きながらの迫力あるものであったと言われていますが。その姿は現代の豊明の生徒の芯の強さや、職業を持つ母親を受け入れることに繋がり、やっと時代が成瀬氏に追いついたと言えるでしょう。
麹町慶進会 塾長 島村 美輝
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