ソングテーマの「迷路」から連想して詠める歌、1首。

家路さえ  思ひ出せずに  昏れ惑ふ

星よ流れて  道を示せよ

 

いえじさえ  おもいだせずに  くれまどう

ほしよ ながれて  みちをしめせよ

 

 

 

「先人(せんじん)の轍(てつ)を踏むな」という戒めの言葉があります。

 

「先人と同じ失敗を繰り返すな・・・・!」という意味だと覚えています。

 

この戒めの言葉は4000年以上も前から言われてきているようですが、

人間は、この言葉を聴き知りながら、同じ過ちを繰り返してばかりいます。

 

私自身も人生の先輩たちから、いろいろな人生訓を聞かされてきましたが、
いま、振り返ってみると、何一つ、

その人生訓が生かされていないことに思い当たります。

 

「人間だもの・・、しようがないじゃない・・」ともよく言われます。

 

「人間だから、同じ過ちを犯してもしようがない・・・」とか、

「同じ過ちを繰り返すからこそ、人間らしい・・」というニュアンスがあります。

 

たしかに、人間が、

先人(せんじん)や先哲(せんてつ)の残した格言の通りに、

誤りなく人生を生きることができたなら、

 

今ごろ、人間はもうとっくに人間ではなく、

仙人や神様のように完全無欠に近い状態に達しているのかもしれません。

 

 

機械工学などの技術的なモノは次の世代に引き継いでいくことができます。

 

文献などでカタチあるものとして、次の世代に残していけるものは、
進歩・発展の段階を踏んで後世に引き継がれていきます。

 

科学技術の進歩はそうやって継続・発展が可能で、

現代の私たちはその恩恵をうけて生活しています。

 

しかし、人間の心理や感情などの分野は、

類人猿(るいじんえん)や原人(げんじん)の頃と大差ない、というより、

そのままの状態で推移して現代に至っているようです。

 

喜び・怒り・哀しみ・楽しみなどの感情はまったくそのまんまのようです。

 

万葉集の恋の歌と、

現代の歌人の恋の歌とを並べてみてもほとんど同じです。

 

生きる時代は違っても、歌に詠む内容はほとんど同じで変わりません。

 

人間がこの世に生まれ落ちてから生育していく過程で、

感情分野は太古の昔からほととんど同じようであるのに、

 

科学技術のほうは、成果と経験値が積み重ねられて進歩していき、

人間の生活環境は技術に合わせて大きく変化してきました。

 

変わらない人間の内部と、激しく変化する外部の環境、

そのギャップが人間を混迷の淵に落としてしまったように感じています。

 

豊かで便利で快適な生活環境は人間にとって大きな進歩の証しですが、
いつのまにか、進歩のスピードが速すぎたのか、

環境不適合という「迷路」に迷い込んでしまう人間が増えてしまいました。

 

科学技術の進歩は都市計画にも大きな影響を与え、

日本でも各地で都市化が進み、人口の都市部への集中を招きました。

 

人口の都市部への集中は、

その反作用として地方の過疎化を生んでしまいました。

 

今や、自分の親の故郷を知らない人間のほうが多くなりました。

 

都市生活者には、親の故郷どころか、

自分の故郷さえ不確かな人間も多いようです。

 

「故郷喪失者」が現代社会を構成しつつあります。

 

家路を忘れてしまった人間たちであふれる都会がイメージされます。

 

迷宮をさまよう人間のイメージです。

 

さあ、自分の家に帰る道を思い出そう・・・

 

迷路を抜け出て、家に帰ろう・・・・

 

宿命の流れ星に導かれて、家に帰ろう・・

 

WELL  HELLOW GOOD OLD FRIENNDS OF MINE

COME IN HOME FROM LABYRINTH