ソングテーマの「嵐」に連想して詠める歌、1首。
日常は 脆くも壊れて 崩れ去る
儚きものとぞ 思ひ知らるる
にちじょうは もろくもこわれて くずれさる
はかなきものとぞ おもいしらるる
太平洋戦争の終結した1945年8月から、今年は77年目になります。
この終戦から77年の間、日本という国は、戦後の復興めざましく、
世界に冠たる経済大国となり、国民は「平和で安全な生活」を享受してきました。
日本の社会全体としては、
世界でも類例をみない「平和で豊かで安全な国」となったのです。
国民の一人ひとりや、それぞれの家庭や家族という個別においては、
必ずしもそうではない例も数多くありますが、
国の全体としては「平和で安全」であったことはマチガイないでしょう。
しかし、
21世紀に入って22年が経過した今年、
日本人を含む世界中の人々は、
恐ろしい戦争の惨禍という危機を目の前にしています。
平和で安全な日常が、
ある日、突然に破壊され、
過去のものになってしまう現実を見せつけられています。
何気なく過ごしている日常を、
誰か他者のチカラで強引に喪失させられてしまうかもしれないという、
危うい均衡=バランスをかろうじて保ちながら、しかし、
徐々にそのバランスが崩れかけていることに気づかされています。
意識的にせよ、無意識的にせよ、気づかざるをえなくなってきています。
第二次世界大戦が一応の終結をみた以降も、
世界のいろいろな場所や地域で、戦争や紛争が続いていました。
そういう不幸な惨禍が無かった日は一日としてありませんでした。
いつもどこかで戦闘があり、
その犠牲者が無かった日は一日としてありません。
ロシア軍によるウクライナへの侵攻が現実のこととなった今年2月24日を境に、
世界はこれまでとはまったく違う、
新たなパラダイムにシフトしたといっても過言ではないでしょう。
私たちは日常生活のなかで、毎日、
テレビなどの報道を通じて、
ロシアとウクライナの戦争の映像をフツーに眺めています。
はじめのうちこそ、衝撃的でしたが、しだいに慣れてきました。
冷静に注意深く、私たちを取り巻く周囲を見回してみた時、
テレビの画面に流れる映像は、
決して遠い他人事ではないことが明らかになるハズです。
「戦争は起こらない」というのは、もはや、幻想になってしまいました。
このことを、現実のこととして、
今を生きる私たちは強く正しく認識しなければいけません。
認識が強く正しければ、
日々の行動などにも、自然と変化がみられてくるでしょう。
あることをやらなくなり、逆に、
あることを新たに始めるようになります。
この平穏な日常という「今」は、
嵐の前の静かな「ひととき」であるのかもしれません。