膵臓がん余命3ヶ月



膵臓がんが見つかった時

パパはすでに末期だった



「一年半は生きれるから…」



咄嗟にそう言ったパパ



我が家はパパのお母さんが

膵臓がんで他界しています




そう…


家族性膵臓がん






義母は70代半ばで

膵臓がんが発覚して

一年半最後まで普通に生きた



それを見ていたパパは

自分も一年半は生きれると

疑う事なく思ったに違いない





体調が何となく悪い…

年初めに最初の異変を感じ

かかりつけのクリニックを受診




この時は


膵炎と診断されてた




出された薬で症状が治った為

誰も膵炎を疑うことはなかった



だが…

回復してはまた悪くなり

その度に受診を繰り返していた



もともと胃腸が弱かったパパ



最初の異変から

何度も検査を続けてきた



膵臓がんが見つかる

3ヶ月前の検査でも




異常はなかった



これは私も確認している




今となっては

何が真実かは分からない



パパが余命3ヶ月と診断されて

その瞬間から人生が変わった



ある日突然、地獄に落ちた



あの日を境に

普通が何よりも幸せなんだと

嫌と言うほど思い知らされた



すぐ義母のお墓へ行き



パパを助けてほしいと

何度も何度もお願いした



来る日も来る日も

お墓へ通い続けてお願いした




神様にもお願いし続けた

お百度も何度も何度もした



それでも義母も神様も

パパを助けてくれなかった



私は義母と神様を恨んだ



義母なんて大嫌い

神様なんて大嫌い



また、私から

大切な人を奪っていった




だけどよくよく考えたら

違うんだよね…



義母も神様も悪くない

逆に応援してくれてたはず




神様とは

お願いしに行くところではなく

お礼を言いに行くところだと

私はふと思った



困った時だけ

神様どうか助けて下さい



そう言うけれど

実は違うんだと私は思った



神様のせいにすれば

自分の心が苦しくない




神様が助けてくれなかった

だからパパは死んじゃった



そう思うことで苦しみから

逃げていた自分がいる




神様は

お礼を言いにい行くところ



自分を信じて

苦しみから逃げないで

ちゃんと事実を受け入れていく



自分を信じるってことは

自分にしか出来ないこと



他人は

助けてくれるかもしれないが

信じるのはあくまでも自分自身



パパが亡くなったことは

誰のせいでもなく

誰が悪いのでもなく



パパ自身の運命だったから



膵臓がんでも

何年も生きてる方もいる



大体の方は

悲しいけれど亡くなってしまう



しかし

現実的にはそれでも

生き抜いてる方がいる



運命だ!



あの人は助かって

この人は助からない



何故だ!



それは運命だからだ!



そう誰もが思うかもしれない



しかし私は

天命だと思っている



天から与えられた「使命」



パパは生き切ったんだ!



今は心から

そう思えるようになりました



苦しい中、

必死に生き抜いてくれたパパに

私は心から感謝しています





パパ

ありがとう