化学物質過敏症完治二例 | 岩手のランナーけいのブログ(学校・化学物質過敏症の闘いなど)

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化学物質過敏症・学校トラブル・ランニングの話題を中心に、けいがストレス発散のために自己主張をしている気ままなブログです。

化学物質過敏症の完治二例は私と長女のことですが・・・

 

私は2004年から謎の体調不良で苦しみ、2005年9月に盛岡病院化学物質過敏症外来(当時)で化学物質過敏症の診断を受けました。

一時自力歩行も出来ず、寝たきりの状態になったこともありましたが、発症から約7年の2011年に完治しました。

以後再発はしていなくて通常の生活を送っております。

 

長女は2010年、当時通学していた小学校の改築工事が原因で身体に異変が起き、3月に盛岡病院化学物質過敏症外来(当時)で

・シックスクール症候群(当時の診断書の診断名のまま記載)

・化学物質過敏症

・有機溶媒中毒

と診断されました。

診断されたときは小学校4年でしたが、5年時には奥州市教育委員会と小学校の不適切対応により悪化し(詳細は過去記事ご覧ください)転校を余儀なくされ、通常の義務教育を奪われました。

今でも私は当時の市教委担当者の言動や約束事不履行と部外への事実と違うことの発信、小学校校長等による不適切対応、長女や家族への暴言、事実と違うことの発信は忘れることはなく、それによって事実と違う誹謗中傷が起き、自宅への嫌がらせ電話などもあり、被害者なのに加害者のようなひどい目に遭ったことは遭ったものでないとわからないと思います。

 

身体だけでなく、心にも傷を負わされ苦しめられましたが、2022年2月の診断及び薬処方が最後で、発症から12年もの長い闘いでしたが、現在投薬の酸素吸入もしておらず、何の制限もない通常生活を送り、普通に働いております。

 

私が7年、長女が12年、長い長い化学物質過敏症との闘いを乗り越えました。

 

二人とも再発しないよう日々気をつける生活は続けておりますが、私たちのように完治するケースもありますので、現在化学物質過敏症で苦しんでいる方は、完治するケースもありますので、なんとか今の苦しみを踏ん張ってほしいなと思います。