縁 -2- | 慶應義塾体育会水泳部飛込部門

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─────── つづき



こうして始まった慶應での飛込生活。





この4年間が本当に本当に本当に濃かった!

パウダー250%ハッピーターンくらい。



その理由のひとつは、「コーチがいない」という

飛込界として異例な環境だったことにあると思います。


コーチがいないからこそ、

たくさんの人が手を差し伸べてくれました。


誰よりも慶應飛込に理解のある兪先生、

1人で飛んでる私に

「見るよ!」とよく声を掛けてくれた泰士さん、

少しでも力になれたらと言って

コーチングのためだけにわざわざ来てくれた小谷先生、

試合で会ったとき、

付きっきりで手取り足取り教えてくれたガーコさん、

常に気にかけてくれて、

私の飛込の分析や練習内容の検討もしてくれた宗くん、

 etc..



そして、自ら、色んな人の手に縋りにも行きました。


手を差し伸べてくれる人にはもちろん、

挨拶程度しか面識のなかったコーチから

チーム問わず年下の子たちにまで

たくさん質問しにいったものです。

図々しいくらいにしつこいほどに…💦


こんな下手っぴな私に親身になってくださったみなさま

本当にありがとうございました。




大学4年間といっていますが正確には3年半で、

飛んでいた期間だけでいえば2年半でした。


度重なる緊急事態宣言で練習できなかった計6ヶ月と

怪我の7ヶ月を除いて。


最も濃い年だった大学1年生。


念願の日本選手権も突破でき、新しい種目も作り、

さぁ試合に向けてラストスパート!という8月後半。

ひとり、栃木合宿へ行きました。


パワーアップして戻ってくるはずが、

歩くことすらできない状態で帰ることに


陸上板で怪我をしてしまいました。

兪先生がよくおっしゃる言葉の中に

「怪我したら全て終わり」というものがあります。

その通りでした。


あの瞬間、あーーー何もかも散ったな、と感じました。

復帰した意味も、日本選手権も、

そして骨までも散ってました。(うまいっ!笑)



中足骨粉砕骨折に腱断裂


手術を3回しました。

助走ができるようになるまで7ヶ月かかりました。


あのときのあの怪我の痛みの記憶こそ

もう薄れてしまったものの、

練習中にも関わらず

一緒に病院に来て寄り添ってくれたかほちゃん、

元気が出るようにと

みんみんの餃子を5人前買ってきてくれたかほちゃんママ、

(いやぁ、この時の餃子の味は細胞まで染みたなぁ🤤)

迎えが来るまで雑談しながら

一緒に待ってくれた栃木のちびっ子たち、

の優しさと温かさの記憶は薄れるどころか

むしろ大きくなって残っています。


中でも、宗くんがかけてくれた言葉は忘れられません。

「全ての物事に意味がある。

なんで怪我しちゃったのか、この怪我には

どんな意味があるのか自分としっかり向き合ってごらん」


意味かぁ。。。


復帰したのが間違いだったってこと?

やっぱり私に日本選手権は無理ってこと?

下手の横好きはもうやめなさいってこと?


…毎日毎日そんな風に考えてました。

でも、それを否定するもう1人の自分がいました。

しばらくして、これが答えだと気づきました。


周りを見れば、

また飛べる足に戻そうと全力を尽くしてくれている

お医者さんやリハビリの先生がいて、家族がいて、

心配と励ましの声をかけてくれる飛込の人たちがいて…


もっと強くなって戻りたい!

この恩を返す方法は飛込の結果しかない!

そう思いました。


テーピング(私の場合ビニールテープ)は欠かせなかったけど、

以前のように飛べる足に戻った大学2年生。


やっと、やっと、本当にやっと

日本選手権の舞台に立てました。

いつかの自分が立てた

〝はるかちゃんと日本選手権で戦う〟という目標。

結果は散々で足元にも及ばなかったけど、

とりあえず果たせた年でした。

長年飛込をやってる人からすれば、

日本選手権は出ることが当たり前という大会かと思います。

でもここまで読んでくれた方はわかってくれると思いますが

私にとってはすごく特別で、すごく遠い存在だったのです。


コロナ、コロナだった大学3年生のシーズンが終わり

とうとうやってきたラストイヤー。


最後の日本選手権には、1mしか出場できませんでした。

本番は、目標してた点数にも届かず4位。


悔しいという言葉じゃ足りないくらい悔しかった

試合直後に人目をはばからず泣いたのは初めてでした。

それは単に結果に対してではなく、

今までお世話になった方々に

何も結果で恩返しできなかったことに対してでした。


そして本当の最後の大会、インカレ。


日本選手権での悔しさをはらそうと

意気込みました。意気込みすぎてしました。

案の定、体はガチガチで、3本目までひどい内容でした。

あと2本しかない。めちゃくちゃ焦りました。


その焦りは顔に出てたようで、試合中にも関わらず、

すれ違う時にグータッチをしてくれた子、

ふと目が合った時に逸らさずニコッと頷いてくれた子、

そして「楽しも!」と声をかけてくれた子がいました。


その瞬間、ハッとしました。

内容ばかりにとらわれて楽しむことを忘れてる…と。

途端に心と体が軽くなりました。


残りの2本も満足できるようなものではなく

予選落ちに終わったものの、試合直後の私は笑えていました。

それは心から飛込を楽しんで終えられたからに違いありません。



あの時、気づかせてくれた子たち、本当にありがとう!





こうして私の飛込人生が終わりました。

長いようで短くて、短いようで長い10年間でした。




ここにはとても書ききれないほど

たくさんの人、物、出来事、言葉との出会いがありました。


一見関係なさそうなことも終わってみれば

それらのどれもこれもが繋がっていました。


すべてが〝縁〟でした。


せっかく出会えた縁。

これからもこの縁が

途切れないように、絡まらないように、

大切に、丁寧に、紡いでいきたいと思います。


今度は役員として携わりたいと考えているので

またお会いした時にはどうぞよろしくお願いします!


そして、慶應飛込の方もよろしくお願いします😌


最後になりますが、

私の飛込人生に関わってくれたみなさま

超個人的話づくしのブログに

最後までお付き合いしてくださったみなさまに

改めて感謝を。


ありがとうございました!!!



                                                    2021.11.13 石塚 菜那帆





終わりと見せかけて、もう少しだけ!



かわいいかわいい後輩たちへ





私は威厳もなければ、指揮力もなく、名ばかりの主将でした。

柔軟になるとニヤニヤしてやってくる「柔軟おばさん👵🏻」

が正しい呼び名だったかもしれません。

それでも文句言わずついてきてありがとう!!



持って生まれたセンスが羨ましいほど優れていて

その上見えないところでコツコツ努力するひろと


自分の成長のためにはもちろん

人の成長のためにもとことん研究するがく


選手としては基礎力に優れ、

マネージャーとしては指導力に優れているそうま

(今はドイツで酒豪生活を送ってるみたいだけど🍻)


自分に対するハードルが高くとっても打たれ強いあみか


苦手種目から決して逃げず誰もが認める努力家のれいか


いつも選手第一で考え動いてくれて

部には欠かせない大黒柱のゆうちゃん


誰よりも早く来ては自主練に励む練習熱心なたっくん


驚異の脚力と熱い熱い向上心の持ち主しゅうご


驚くほど板合わせのセンスに優れているいつき


たったひとりで大学生の中に混じり

高3までやり遂げた根性と勇気のあるゆうた

(大学でも続けるよね?😀圧)


やる気いっぱい、元気いっぱい、頑張り屋さんの

みんながこれからどこまで成長するのか

どんなチームを作り上げていくのか

すごく楽しみです!

歴代最高のチームになりそうな予感がするよ🌟


私にできるサポートは全力でしたいと思います。


体を労りながら、心から楽しみながら

飛込ができることに感謝しながら

精一杯頑張ってね!誰よりも応援してます。


(p.s. そろそろ柔軟チェックに行きますね待ってて😘)