こんばんは
3年の茂呂澤です。
冬です。
寒いです。
冬の代名詞と言えばなんでしょう?
クリスマス?サンタさん?イルミネーション?
いや
体調不良
です。
月曜からとにかく体調が悪く、練習はほぼできていません🙃
1週間経った今でも快方の兆しが見えません。
熱がべらぼうに高いわけではなかったのですが、肺や心臓など臓器が痛みました。あとは頭痛と腹痛でしたね。
はい、病院行けよって話です…
近況報告は以上になります笑
今回こそは面白いブログを書きたいなと思ったのですが、僕には向いてないのでそういうのはギャクセンが僕の8000倍くらいある後輩5人に任せます。
なので今回も僕は真面目でいきます。(まぁこれで全体としてバランス取れてるはず)
最近、「努力」ってなんだろうと思うようになりました。
どれだけ頑張っても辿り着けない場所があって、それでもそこへ向かって努力することに果たして意味があるのでしょうか。
特にここ2、3ヶ月は失敗続きの日々で、努力しても報われることはないんだな、と強く感じました。
努力って何の意味があるんだろう?
その中で導き出した結論が、努力の成果として自分が求めていたことが間違っていた、ということです。
「努力」して得られるものは「成功」や「結果」ではないことにようやく気付きました。
無論、それらに向かって努力することは全く間違ってはいないと思うし、それは然るべき手段です。
それでも、そこへ向かっていく道のりで得られるものは、「成功・失敗」などの0か1かのようなデジタル的・離散的なものではなく、「成長」というある種アナログ的・連続的なものなんだと思います。
デジタル的な見方をすれば目標に達していなかったら全て「0」、進歩は見られません。
ただアナログ的は観点から見れば、デジタルの「0」は0.15かもしれないし0.6かもしれない、限りなく「1」に近かった0.9999…かもしれない。
この見方をすれば、充分努力に対しての対価は見られます。
確かに、自分の成長は気付きにくいものでもあります。ともすれば、全く目に見えないものであるかもしれません。
ただ、努力しても結果に結びつかなかったという理由だけで、努力そのものを嘆き、逃げているのはまだ稚拙だなと感じました。
いつかある後輩に床関数を教えたことがあります。
努力の量と目に見える成果はこれと同じなんだと思います。
ただ自分がしてきた努力の報酬は、目には見え辛い「成長」であり「成果」ではありません。
"L'essentiel est invisible pour les yeux."
耳にしたことのある方も多いのではないのでしょうか
サン=テグジュペリ
星の王子さま、の一節です。
(原文のフランス語で引用してます)
自分の大好きな作品、「君の膵臓をたべたい」にもこのフレーズは出てきてます。
考え方を改めて、再スタートしていきたいと思います。
さて、次回の僕の出番はおそらく新年です。
皆さま、良いお年をお迎えください!!
次は濱田です。
最近は主務業でエグってます。
少しは楽になってきたのかな!?
よろしくお願いします!!