平素よりお世話になっております。
4年の大竹翔大です。
まずは4年間指導してくださった栗原さん畔田さん中田さん雅夫さんをはじめとする監督コーチ陣の方々、お世話になった保護者の方やOBの方、部に関わる全ての人に深く感謝申し上げます。
そして、バトンを繋いでくれた瓜守
どんな状況でも憎らしいほどに前を向いて努力し続ける瓜守には、何度もハッとさせられ、自分も頑張らなければと思わされました。
パスの度に一人おもりを巻いていたり、練習前に更衣室のベンチで攻防の動画を見ていたり、練習が終わった後でもスタメンの下級生にアドバイスを求めに行ったり、そんな愚直な姿勢に刺激を受けた人は僕だけではないと思います。尊敬しています。
引退して2週間、水球という7年間常に自分の隣にあったものが無くなった訳ですが、言葉ほどの実感はあまりありません。
心からその事実を受け止めきれてない節もあるのかもしれません。
長い部活動人生が終わったことを受け止め、感情を整理するためにも、ここに4年間の思いを綴ります。
拙い文章ですが、どうぞ最後までお付き合いください。
天秤に掛けられ続けた4年間でした。
高校時代、僅差で国体出場を逃し、その悔しさから、大学生活を水球に捧げることを決意しました。高校時代勝てなかった相手にこの手で下剋上を果たすためです。
1年生、コロナ禍で練習もままならない中、当時主将であった村田さんに能力を買われ、入部して3ヶ月でAチーム入りを果たしました。ノリに乗っていたと思います。
そこから、シーズンが変わり、2年生になっても、運よくAチームに残り続け、リザーブながらも試合のメンバーに入れてもらえる機会にも恵まれました。ここまでは順風満帆な水球生活でした。
3年生になり、入部以来初めてBチームに降格しました。自分の本当の実力を認識させられたような気がしました。一方で、まだ1年あると言い訳のように言い聞かせ、現実を楽観視する自分もいました。
そして、自分の代となり、代が始まって1週間でBチームに降格しました。
焦りました。
1年生からずっと、自分がギリギリの立ち位置だったことを思い知らされました。
常に13番目の座を巡って、天秤に掛けられる立ち位置でした。
今思えば、当時は自分の弱みから目を背け、強みを伸ばすことばかりに注力していたような気がします。ディフェンスそっちのけで、回しこみやドライブの動画ばかり見ていました。
そんな自分に下される評価は残酷なほどに正当で
そこから、1年間心休まる日はなく、常に危機感や焦燥感と戦いながら、練習に励み続けました。
結果的には今シーズンは全試合でメンバー入りを果たせたわけですが、どれだけ練習で調子が良くても、試合に出場できても、安心できる瞬間はありませんでした。
日本選手権のメンバーが決まるその日までです。
ですが、そんな環境が自分を大いに成長させてくれたと思います。
さて、自分語りが長くなりました。
主将でも副将でもなければ、エースでもゲームキャプテンでもない僕ですが、そんな僕から後輩たちに伝えたいことが一つだけあります。
それは
大学水球に身を置いたからには
4年間とことん水球と向き合い続けてほしい
ということです。
これは単に、練習で手を抜くなとか、愚直に追い込み続けろとかそういったことではありません。
どんなことをしていても、水球や部活のことが嫌でも頭から離れないくらい、水球に対する感情を持ち続けてほしい。
どんな感情でもいいから、その感情と向き合い続けてほしいということです。
この4年間こんな言葉を耳にすることがありました。
大学生活は水球だけじゃない。他にも考えるべきことはある。
長い目でみれば、水球より大切なことはたくさんある。
といったような言葉。
自分も4年間のうち何回かはこんなようなことを言った気がします。
正論すぎてぐぅの根もでません。地球が丸いのと同じくらい当たり前のことです。
水球を突き詰めても、やめてしまえば何の役にも立たないかもしれない。
ですが、後輩たちにはこんな正論お構いなしに
どうやったらもっと上手くボールがゴールの中に入るのか、水球の強さだけで序列が決まる残酷な世界でどうやったら這い上がれるのか、考え続け、悩み、葛藤し、情熱を注ぎ続けてほしいです。
この4年間様々な思いをしました。
Bチームに落ち、先輩や同期の前で悔し涙を流したり
早慶戦前日に同期のアツい涙にもらい泣きしてしまったり
最終予選残り4秒で大貴のゴールが決まり、勝利したときは心の底から水球を続けてよかった。
このチームの一員でよかったと思えた。
人生で一番感情が高ぶった瞬間でした。
どれもこれも水球に向き合い続けてきたからこそ感じることができた感情です。
部員全員にそれぞれの思いがあり、僕には全員の思いを理解することはできません。
ですが、全員が感情と向き合い、悩みながらも頑張っていることを知っているから、チームメイトが愛おしく思え、チームを愛し、チームのために戦うことができるのだと思います。
チームを愛し、チームメイトから愛されるために
そして限りある水球人生をより鮮やかに充実したものにするために
「水球」というスポーツに、あるいは「水球部」という組織に、とことん向き合い、感情を注ぎ込んでほしいです。
そうすれば、結果はどうであれ、必ず忘れることのない濃密な4年間を過ごすことができると信じています。
長々と理想論を語ってしまいましたが、そうはいっても、僕も水球から逃げたくなった瞬間は何度もあります。
もし悩み疲れて、考えることが面倒臭くなってしまったら、一声かけてください。
いつでも相談に乗ります。
最後に少し思い出を振り返って、このブログの締めとしたいと思います。
人に恵まれた4年間でした。
偉大な先輩方から多くのことを学びました。
特に嘉藤さんにはお世話になりました。
ありがとうございました。これからもお願いします。
一つ上の代の皆さんにはたくさん成長させてもらいました。
特に根津さんと健太郎さんからは様々なことを学びました。
お二人と一緒に水球をやっていた時期が恋しいです。たのもしすぎたし、背中がでかすぎました。
人生であと1回くらいはまた一緒に水球したいです。
可愛い後輩たちに囲まれました。
たいじろうは少し頑固ですが、誰よりも愚直に水球と向き合い続けるかっこいいやつです。
先輩ながら学ぶことも多く、影響を受けてしまったことは否めません。
あと2年頑張ってね。またサウナいこうね。
名倉君とは9年目になりますが、ポジションもプレースタイルも似通っていて、ずっと僕と一緒に天秤に掛けられ続けていたかわいそうなやつです。
来年は大エースだろうから期待してるね。逃げずに頑張ってね。
錦戸君、来年の慶應水球はあなたに懸かっています。頑張れー!
かけがえのない同期とともに4年間を過ごすことができました。
水球も個性もやたらと強くて、大変だった人たちです。
彼らの背中は時に頼もしく、時には高すぎる壁のように見えました。
でも、早慶戦も最終予選もトビオカップも勝てたのは彼らのおかげです。ありがとう。
10年目の人たちです。
ここまでくると10年目が沁みますね。
紆余曲折あって、全員いい関係に落ち着いた気がします。
よしくんも10年目です。
1年目から10年目まで、ずっと凄すぎる人でした。
これからもっと凄くなってください。
こいつはただ家が近いだけのやつです。
家が近いだけで、遅くまで色んな話に付き合ってくれてありがとう。
これからは会社が近いだけのやつになるけどよろしくね。
他にも色々な人にメッセージを送りたいのですが、長くなりすぎるので、割愛します。
欲しいという方は是非連絡下さい。何時間でも語ります。
最後に
今まで21年間自分を育て、支え続けてくれた両親には感謝してもしきれません。
特に、朝練の時も毎回朝ごはんを用意してくれ、たとえ、夜練後であろうと、増量のためにと大量のご飯を作ってくれて、試合の度に応援に来てくれた母親の存在は他の誰よりも大きかったです。
本当にありがとう。
来年からはしっかり働いて、親孝行します。待っていてください。
書きたいことは全て書ききれたので、この辺で僕のラストブログを締めたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとう。
次は杏香です。
水球というグレーゾーンだらけのスポーツに審判という立場で入り、色々大変そうでしたが、最後までやりきったのはすごいと思います。
誰にでもできることではありません。
ラストブログ期待してます!