最高の正解 | 慶應義塾体育会水泳部水球部門のブログ

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慶應義塾体育会水泳部水球部門の公式ブログです。

現役大学生・OB・ファンの皆様との交流の場にしたいと思います。

ご無沙汰しております。

4年の瓜守です。

ついに、四年間安藤から受け取ってきたブログのバトンも今回が最後となります。

安藤も書いていましたが、彼からは引退翌日にとても嬉しい言葉をもらいました。

僕も彼に想いは伝えたので長くは書きませんが、
7年間の水球人生を彼と過ごすことができて良かった、と心から思っています。


LA旅行を楽しんでいる安藤とは打って変わって、
(グランドキャニオンいいなぁ、、、、、)
僕は同期とトビオカップに出場するため、静岡県浜松市に来ています!




旅行中だったり、体調を崩したり、で選手は半分しかいません、、、

そのため、明日はなんと交代無しで二試合を戦います。キーパーもいないので、フィールダーで回しています!
(おかげで浜松の天気は安定してます。)




さて、余談はここまでにして、そろそろ真面目なことを書かせていただきたいと思います。

引退ブログ、どんなことを書こうかなぁ〜、と
ここ数日間考え続けていたのですが、
せっかくなので、笑顔で終われるようなブログで
締めくくりたいと思います。












思い返せば長かったようであっという間に過ぎてしまった四年間。



特に、二・三年生はとても苦しい二年間でした。




自分の力では、まだまだ大学水球で通用しないことはとうに分かっていましたが、
思うような結果はなかなか残すことができず、
ごく稀にAチームに選んでいただいても
嬉しいのはAチームの方に貼られた自分の名前のマグネットを見た時まで。
何をとっても歯が立たず、Aチームの練習に参加することが億劫になっていました。





どうにか上手くなりたい、Aチームに定着したい、ともがき続けていましたが、
自分の想いとは裏腹に同じような立場にいた同期や後輩がどんどんAチームに昇格し、
自分だけ置いて行かれているような、先が見えない日々が続きました。





そんな中での苦手なスイム練習は、本当にきつくて苦しかった。




なんでこんな思いをしないといけないのか。
兼ねてから行きたかった留学よりも水球を優先したけれど、
自分が燻っている間にもコロナ禍が落ち着いて留学にいく知り合いも増え、
留学でなくても、友達はそれぞれの道を進んで大きくなっていく。






水球なんて続けない方が良かったのかもしれない、と自分の決断を憎みました。






やめようかな、とも思った。







水球を始める前は九年間野球に打ち込んでいて、
それなりに追い込んでいましたが、
こんな風に思ったのは、これが初めてでした。


それでも部活に来て、嫌でもみんなが頑張っている姿を見て、
くだらない話で大笑いしている時間を過ごしているうちに、徐々に気持ちがポジティブに変わっていきました。








自分が憧れたり尊敬するような経験をしているどんな人よりも、

また、仮に水球ではなくそのような道を選んでいたとした時のどんな自分よりも、

将来の自分が誇れるようなものを少しでも多く得て周りに驚かれるような結果を残す。








何か特別なきっかけがあったわけでもありませんが
水球部での何気ない日々がそう思わせてくれました。
だからといって、簡単に結果を残せるわけでもなく
三年生のシーズンが終わった時も、側から見れば何も変わらないままだったと思いますが、
水球に対する想いは揺るぎないものになっていました。








ラストイヤーに賭けた僕は、自分への「挑戦」をスローガンに掲げ、自分たちの代を迎えました。



ただひたすらに試合に出たかった。



自分が試合に出て、いいプレーをして
チームの目標達成に貢献する。
自分が試合に出て活躍し、代としても最高の成績をおさめる。



これが僕の求めていた結果でした。



もうシーズンまで時間がないのに、Bに落とされることもあり、情けなさとやるせなさに駆られながらも、落ち込んでいる暇はない、と上を向いて走り続けることができたと思います。




しかし、結果は

学生リーグには一試合も出られず、

一番の目標にしていた早慶戦の出場も叶わず、

最終予選も大一番は観客席から応援し、

引退がかかった日本選手権もみんなとプレーすることはできませんでした。






代の目標どころか、一つの試合の勝利にも貢献することができず、思い描いていた結果を残すことはできなかったと思います。


悔しい思いは消えないし、後悔も少なからずあります。








でも、引退して思うことは、

僕が掲げていた目標のうち、より大切だったのは前者だった

ということです。



そして、なによりも大切で、
一生誇れるようなかけがえのないものをたくさん得ることができました。

それは、

大切な同期。

素敵な先輩と後輩。

インカレで初めてメンバーに選ばれた時の嬉しさ。

試合に出る立場だからこそ味わうことのできる緊張感や責任感。

引退して何人かが言ってくれて初めて知ることができた、自分の努力する姿勢が誰かに響いていたんだという実感。

そして、引退してこのように思えたこと。

書き出したらキリがありません。






改めて振り返れば、

どの道を選んでもきっと「正解」と言えたと思うけれど、




水球部を選んだこと

苦しくても最後まで続けてきたこと

そして、水球部で過ごしたこの四年間





は、僕にとって「最高の正解」でした。





本当に誇りに思っています。





水球部に入って本当によかった。








最後にはなりますが、このような最高の水球人生を支えてくださった方々にこの場をお借りして感謝を伝えさせていただきます。







栗原さん、中田さん、雅夫さん、畔田さんをはじめとした指導者の方々

ご指導いただきまして、ありがとうございました。
選手として大成することはできませんでしたが、
皆様にご指導を賜り、入学当初から水球面でも人間面でも大きく成長することができたと思います。
改めまして、本当にありがとうございました。







先輩方

皆さんの背中を追い、憧れ、ここまで来ることができました。
後輩にとって、皆さんのような先輩になれたかは分かりませんが、
少しは近づけたのかな、と思っています。
ぜひ、今後ともよろしくお願いします。










後輩たち

みんなからは学ぶことも多かったし、
励まされることもたくさんありました。
みんななら、来シーズンもそれ以降も
安心して応援に行けると思っています。
期待してるよ、頑張ってね!
いつでもご飯行こうね。








最高の同期

みんなと同期になれて、一緒に水球ができて本当に良かった。
この一言に尽きます。
人数も多くそれぞれが個性豊かだったからこそ、
主将の大貴を全員で支える、というみんなが理想としていたチームになれたと思う。

みんなと過ごした四年間は最高の宝物です。

社会人になっても、飲みに行ったり
たまには水球したり、
末長くよろしくね!










最後に、
両親と生まれた時から世話をしてくれているおばあちゃん

今まで支えてきてくれて、本当にありがとう。
もっと水球をしている姿を見せてあげたかったけど
結果で恩返しできなかったのは悔しいです。
ごめんなさい。

22年間ずっと支えてきてもらった分、これからは僕が支えられるように新たな道で頑張るね。
これからもよろしくお願いします。







次は、苦しい時にともに励まし合った大竹です。




(大竹の次の杏香も一緒に📸)



俺以上に苦しかったと思うけど
試合で活躍してる姿はかっこよかったよ。

ラストブログ楽しみにしてます!