音楽半生記⑩音楽講師&制作~現在 1 | 松本景の Pianissimo diary

松本景の Pianissimo diary

音楽の事、お寺巡り、猫との暮らしなど、日常の些細な事まで、徒然なるままに記した日記です♪

教員免許を取得しながらも、講師という職業には
それほど興味はありませんでした。

何かのオーディション?に送付していた
プロフィールを見て、今のスクールの代表から
お誘いを頂いたのがきっかけでした。代表とは、
ずいぶん前に平尾昌晃先生のスクールで、
講師として一瞬ご一緒させて頂いた過去があり、
そのご縁でお声がけを頂きました。

最初の顔合わせ?面接?の時に、
「もう(年齢的にも)応募する側じゃなく募集する、
回していく側でしょう!」
というお話があったことを覚えています。

わかってはいたものの…複雑な部分もありました。
まだ演奏家やプレイヤーとしての道を
捨て切れていなかったのだと思います。
その頃はピアニストとは名ばかりの状況、
孤立無援状態でしたから、なおさら
最後通告のように感じました。

僕自身は、夢はその人のものだし、
遅すぎることなんてないし、状況が許される限り、
胸を張ってやりたいことをやっていくことが
肝要だと思いますし、
格好良い生きざまだと思います。
それもまた、後悔したり、誰かのせいにしない
生きざまだと思います。
今もそう思っています。

ただ、僕はそれを貫ける器ではありませんでした。
また、そういう自分は必要とされませんでした。

大事マンブラザーズバンドの立川さんが、
「昔の歌が良くて今の歌は良くないとかじゃなく、
ポップスは、自分の経験が歌を追い越していくだけ
なんです」とおっしゃっていました。

岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」を聴くと、
申し訳ない気持ちや情けない気持ち、
暖かい気持ちなどが入り交じって胸を締め付けます。
「どんなときも。」はもはや、等身大ではなく
青春讃歌であり、それでいてなお、宝物のようです。
「TRUE LOVE」や「真夏の果実」は、
思い出の宝箱であり、僕は登場人物には
なれずでした。

後悔はありますが、誰かのせいだとはちっとも
思っていません。なぜなら、
"そうしかなれなかった自分"を
受け入れる努力をしたからです。

そんな不明瞭な立ち位置から、講師や制作の
仕事を始めたのは、ある意味不遜だったのかもしれません。
しかし、北新地時代同様、"捨てる"ことと、
駆け引きをしない全力投球で、
自分なりのスタイルを確立していこうとしました。 

レッスンは基本的にマンツーマン、
ボイトレを中心に、弾き語りや楽曲制作なども
承るようなかたちです。
カリキュラムはありません。十人十色ですので、
ある種の応用力や、流動的な流れを感知する事が
重要で、一元的な観点では成り立たないと思います。
音楽的な好みから目的、レッスンスタイルなど、
正に一対一の様相、
僕のような音楽的な力の乏しい人間に
尚更必要なのは、感知力と事細かなやり取りです。

そして1番は、偉そうぶらず、思い上がらず、
お一人お一人それぞれの土俵に、
向こうのふんどしを締めて、こちらから
上がることかと思います。
まぁ、何をするにしてもそうかもしれませんが……

かくして、北新地から足を抜いたものの、
音楽家以外の"何か"(笑)
であるスタイルは引き継がれるのでした。