音楽半生記⑨北新地時代2 | 松本景の Pianissimo diary

松本景の Pianissimo diary

音楽の事、お寺巡り、猫との暮らしなど、日常の些細な事まで、徒然なるままに記した日記です♪

僕は音楽的な能力には全く自信もなく、
また実際に非力なので、どうにか自分なりの
ポジションを作るために、他の部分で自分に
出来ることを探しました。

まず音楽においては、すべての方の音楽の好みや
好きな歌手、曲を覚えました。
そこには自分の好き好みや音楽性などは
持ち込みません。というか、
そんなものは関係ありません。

お名前や会社よりもまず顔と音楽を頭の中で
紐付けして、その方が入店された際には、
必ずその方のための曲を弾きました。
誕生日の時には、その方の好きな音楽ばかりを
弾きました。

ある方の誕生日の際に、その方は元レコード会社の
方で、エルトン・ジョンが大好きだということで、
普段はやらない弾き語りで、エルトンメドレーを
演奏しました。その方は普段ママや女の子を脇に、
マシンガンのように喋り、歌い倒す方でしたが、
その日は誰も居ないボックス席に移動して、
じっと目を閉じて団扇を扇ぎながら耳を
傾けてくださいました。
大変誇らしかったことを覚えています。

また、その日の会話でどうしても
わからなかった曲は、
その方が次に来店されるまでに必ず覚え、
入店と同時にここぞとばかりに(笑)弾きました。

カウンターの中では、"ピアニストだ"などという
見栄は捨てて、洗い物からテーブルセット、
ボトルキープから買い出しまで何でもやりました。
そうこうしている内に、お客さんとの信頼関係も
生まれ、僕が接待させて頂くような場面も
出てきました。男対男で(笑)

書店を退職し常勤になると、店開けからだったので、早いお客さんは、ママや女の子が来るまで
僕とマンツーマンというような
シチュエーションも出てきました。
同伴をしてくださり、北新地の高級飲食店に
ご一緒させてもらったり、プレゼントや、
シャンパンを開けてくださる方も…

こうなって来ますと、もはや僕は
ピアニスト以外の"何か"として(笑)
有り難く働かせて頂いていました。

自分はこれだけの事をしたとかではなく、
僕のような凡人音楽家は、そうでもしなければ
何の役にも立たないボーフラ!!なので、
選択肢はなく、そういう努力をせざるを
えなかっただけだと思います。

ただ、段々と自分も周りも含めて、それが
当たり前のポジションになるということは、
よくも悪くも"音楽家"という自尊心のようなものは
削ぎ落としていくことでもありました。

それは今、講師や制作をさせて頂く上での、
自分なりの理念として、息づいていると思います。

僕のような凡人が、誰かの役に立つということの
ためには、自分などというものを捨てることが肝要。しかしそうなりきれないのも自分、
そこにジレンマが生まれてくるのだと思います。

逆に、"そうなりきれる"とか、
"誰かのために「私」が!"
などと平気で言う人は、ほとんどの場合嘘つきか
勘違いの思い上がりだということも学びました。
本当に誰かを思う時は、"私"の事など考える
余裕などないからです。
だからといって、何が目的であっても、
開き直って目先の自分の事しか考えないような
思考は、思慮の浅い幼稚な態度だと思います。

そういう意味でもこの北新地時代は、
本当に貴重な勉強と修行をさせて頂いた期間でした。
そして、特にこの北新地時代~今の仕事を通して、
"どうやら自分は、○○じゃない方の部類の
星回りらしい"ということが確定的になっていく
時期でもあります。


ママは途中から体調を崩しがちでした、
お元気ですか、
怖いママでもありましたが(笑)
僕にはいつも優しくしてくださいました。

関わってくださったお客様への感謝、
ママとチーママへの敬愛を忘れずに
いたいと思います。

北新地時代と1年程被りながら、
今の講師の仕事も週に2日程させて頂いており、
こちらへとシフトしていくことになります。