1人でデモ音源を制作、メーカーやオーディションに送る、ということを続けていました。
25歳までかな、と漠然と区切りを決めながら、
後悔のないように、という思いでした。
途中、平尾昌晃ミュージックスクールで
一瞬講師をしたり、吹田の産業フェアのステージで
雇われボーカルをしたり…
時系列が既にぼんやりしてますが……(笑)
光陰矢のごとし、あっという間にタイムアップが
近くなり、歳を取るごとに仲間や味方、
そして応援者も減っていきました。
まぁ当たり前ですが、"まだやってんの??"という
空気をひしひしと感じるようになってきます。
つま弾きになっていきます。
遅れていきます。
あらゆる面で劣勢を余儀なくされます。
そんな時、助け合い励まし合える仲間が
居なかったのは、自業自得でした。
そんな中、25歳になるギリギリ手前に、
あるレコード会社のディレクターの方から
電話が入ります。
要件は、
「何年か前に送ってくれた"じゃあね。"という楽曲が
とても良いので、ウチのアーティストに歌わせても
良いですか?」
という、所謂楽曲提供の依頼でした。
それはシュー・フルール時代に送った音源でした。
その後やり取りをしていくうちに、
「やはり松本君が歌うのが良い!」ということで、
ちょうどピアノ系シンガーソングライターの
プロジェクトがあり、それに推してくださることに
なりました。
リサーチ用の音源が必要だということで、ディレクターの計らいで、青山にあるビクタースタジオでの
録音に臨むことになりました。
次回に続く………