音楽半生記⑥「じゃあね。」 | 松本景の Pianissimo diary

松本景の Pianissimo diary

音楽の事、お寺巡り、猫との暮らしなど、日常の些細な事まで、徒然なるままに記した日記です♪

青山のビクタースタジオと言えば、
サザンオールスターズ御用達のスタジオで、
大変有名なスタジオです。

サザン位のクラスになると、アルバム制作などに
なると、ビクタースタジオの1フロア(1室ではなく!)を半年間程貸切状態で使用するそうで、
それだけでも費用は莫大だと聞きました。
「いつかそんな贅沢な環境で制作出来るように
なるまで頑張らないとね!」というディレクターの
言葉が印象に残っています。

当日も、確か僕は301スタジオだったと
記憶していますが、別のレコーディング室では
KinKi Kidsやポルノグラフィティも
レコーディングをしていたのを覚えています。
なんせ、ディレクターやミキサーさんが付いての
本格的なスタジオでのレコーディングは初めて、
しかも、1日で録音しなければならなかったので、
なかなかの緊張感でした。
スタジオ費や人件費、足代まですべて向こうが
持ってくださり、
「アーティストには1円も使わせないから
心配しないで」
とおっしゃってくれたのですが…
「ちゃ、ちゃんとしなくては!」という
プレッシャーにもなっていたのかも
しれません。

「じゃあね。」と、もう1曲の合計2曲を録音しました。
まずスタインウェイのフルグランドでピアノ伴奏を、そして歌録りです。
1番の出だしのフレーズと、1番のサビが勝負だ、
ということで、そこの部分は何度かテイクを
録りました。
が、他の部分は割とスムーズに録音は終了。
「あとはこちらの仕事だから、松本君は
曲を作りながら吉報を待っていて!」
ということで、
胸弾む心持ちでその日のうちに大阪に帰りました。

今思うと僕の、唯一、浮いた話でした。

結果は残念、他の3人組のバンドがデビューすることが決まり、僕の話は流れてしまいました。
それでも、そのディレクターの方は次の機会を
活かせるように準備しましょう!ということでした。

それから2年程は、月に1度必ず新しい曲のデモを
その方に送り続けました。
何ヵ月かに1度、
講評やアドバイスなども含めて、
あちらからコンタクトを取ってくださるという日々。
あてなんてなくても、僕の未熟な作品に
都度アドバイスを頂き、
向き合ってくださったその方が居なければ、
大阪には残って居なかったかもしれません。
ある意味でひとつの分岐点であり、
恩人でもあったと思います。

だんだんとコンタクトの間隔が長くなり、
「これで一区切りにしよう」という最後通告を
受けた時は、もう27,8歳になっていたと思います。

小さな挫折感は何度もあれど、
その時はハッキリとした挫折感と絶望感がありました。

さて、そういう期間と被って、僕は某有名書店の
音楽書担当として働いていました。

次回はそこから…