音楽半生記③青春の輝き | 松本景の Pianissimo diary

松本景の Pianissimo diary

音楽の事、お寺巡り、猫との暮らしなど、日常の些細な事まで、徒然なるままに記した日記です♪

ポピュラー・ヴォーカル科は2年制しかなかったので、大阪音大の短期大学部に入学、
大阪で一人暮らしを始めました。

先輩にはaikoさんが居ます。が、3年先輩なので、
学校で会うことはありませんでした。
ただ、ひとつ上の先輩で、aikoさんを慕って
私設ファンクラブのような事をしていた先輩が居て、当時は江坂辺りでよくライブがあり、
何度か駆り出されました。僕は個人的にあまり
aikoさんに惹かれなかったので(失礼!)
なるべく接点を避けていました。。。
………仲良くしとけば良かった………(笑)

一人暮らしにも学校にもすぐに慣れました。
音楽の勉強は勿論、僕の中では、新天地で
やり直そう!という気持ちもあったと思います。
新しい環境、仲間の中で、うまく馴染んでいこうと。

環境としては、少なくともまず音楽という
共通項があるので、非常にやりやすかったですね。
1対9で女性が多いのですが、その分男子はジャンルや科を超えてボーダーレスな付き合いがありました。
女子からは、男子とは思われていなかったらしく、
こちらもボーダーレス(笑)

僕はとにかく練習熱心で、アルバイトをしながらも、遊ぶ間もなく大学の練習室に入り浸って
歌とピアノを練習しました。そのせいもあり、
後半はあまり遊びにも誘われなくなりましたが、
とても楽しい充実した2年間を過ごすことが
出来たと思います。

レッスンでは、洋楽曲、僕は主にエルトン・ジョンやビリー・ジョエル、ボズ・スキャッグスなんかを
歌っていました。
セミナーでは黒人音楽の歴史や当時の洋楽シーンを
学びながら、第2専攻ではポピュラーピアノ、
自分自身では作詞・作曲も続けていました。
勉強のためにも、色んなジャンルの洋楽曲を
聴きかじっていました。

セミナーの単位認定のテストは、
まったくの白紙を配られて、知っている洋楽
アーティストの名前で埋めて黒くしたら合格!
という何とも斬新な(?)テストでした。

とはいえ、自作曲は日本語ですし、
やはり槇原敬之さんやサザンオールスターズ、
ミスターチルドレンなども良きお手本でしたし、
バイブルでした。
槇原敬之さんのコンサートや、エルトン・ジョンや
ボズ・スキャッグスのコンサートに初めて行けたのも大阪に来てからでした。

結局ここから後、槇原さんのコンサートは
12,13回程?は足を運んだでしょうか。
エルトンは3回。特にこの初めて行った時は、
ビリー・ジョエルとのジョイントコンサートで、
超豪華でした。

大阪城ホール、まだ会場が着席したかしないかの
段階で、颯爽とエルトンとビリーが登場。
喧騒の中、おもむろにエルトンが1曲目に、
「YOUR SONG」のイントロを弾き始めた瞬間、
時が止まって胸がいっぱいになったことを
今も鮮明に思い出します。

この頃は、とにかくやるべきことや、
やりたいことが多かったですね。
学校では教職課程も取っていたので、
取らなければならない単位も多く大変でした。

成績は、秀→優→良→可→不可の5段階で、
半分位は秀、3割位が優、2割程良と可、
という感じで、割と真面目に通い詰めました。
勿論、指揮法とかリコーダーとかドラム実習とか、
身になっていないことも(笑)沢山ありますが、
経験としては、後々につながったことも
あると思います。

教育実習では地元の中学校に凱旋、
当時弟がまだ中学生だったのですが、
弟の居るクラスも担当しました。
弟は超嫌そうでした(笑)

ポピュラー学科ということもあり、授業では
クラシック曲は扱わず、当時流行っていたGLAYの曲や、槇原敬之さんの「どんなときも。」(←またか 笑)を扱っていました。
"先生"なので当たり前なんですが、人生であんなにも
注目を集め、多くの人に囲まれたことはありません。
何というか、最初で最後のスポットライト
だったような気がします。
大変貴重な体験でした。

歌はメキメキと力をつけて、それなりにピアノ弾き語りも板についてきた頃、あっという間に卒業と
なりました。卒演では、先生が決めた
セットリストの中で、「When I fall in love」という、映画「めぐり逢えたら…」の主題歌を歌いました。
デュエット曲なので、歌における共同作業は
コレが最初だったと思います。

高校の時とはうってかわって、晴々しい気持ちでの
卒業だったと思います。

精一杯背伸びをして、自演をして、なりたい自分を
探して、後ろ指をさされるような事はひとつもなく、無事に大阪音大を後にしました。

あの頃の仲間のほとんどは、今どこでどうしてるのかも知りません。

記憶の中で一番、青い希望に満ちていた
時代だったと思います。