2度と戻りたくない時代でもあります。
一言も喋らず1日を終えることもざらにありました。所謂黒歴史的な…
そんな僕が、文化祭において華麗なる??!!
ステージデビューをします。
高校2年、3年と2年続けて弾き語りをしました。
高校生になると、槇原敬之さんやサザンオールスターズ、ミスターチルドレンや藤井フミヤさんなど、
男性ボーカルもよく聴き始めました。
ひとつには、"自分で演奏する"という主観的な
観点が加わってきたからかもしれません。
勿論岡村孝子さんや辛島美登里さんも健在。
それに加えて、音大の入試課題曲が洋楽だったこともあり、カーペンターズやビートルズ、
エルトン・ジョンやボズ・スキャッグス
といった洋楽曲も聴くようになりました。
さて、文化祭の花形のひとつに、
バンド演奏があったかと思います。
ウチの高校では、バンド演奏は小さめの講堂で
行われました。世代的に、ブルーハーツなどが多く、バンドが変わっても、曲がダダ被りだったのを
覚えています。氷室さんや布袋さんも
人気がありましたね。
主に女子にモテるのはこちらサイドです(笑)
かたや、大きな体育館では、
フォークソング部や演劇部の出し物がありました。
問題はこのフォークソング部………、
たまたま僕の担任が顧問だったのですが、
基本的に文化祭の時にだけフォークソング部を
名乗る生徒が現れるという具合で、
実際は部活としては機能してませんでした。
そこで、僕が音大を目指していることを
知った担任が、"ちゃんとした部員が居て
活動もしている"という既成事実のために、
お声がかかったのです。
もっとも、担任は音楽はずぶの素人だったので、
2.3回放課後に教室で練習をする僕と居合わせた、
という既成事実を作っただけでした。
2年の時は、ギター弾き語りで、
槇原敬之さんの「どんなときも。」
藤井フミヤさんの「TRUE LOVE」、
それと、よくわからないオリジナル曲も(笑)
やったと思います。いや、オリジナル曲をやることは重要だったのです。そもそも、自分の考えや何かを
伝える術として、コミュニケーションの術として、
音楽を選んだという側面があったので。
リハーサルの時には、架空部員の3年生と
顔を合わせるわけですが、当時はアコギ弾き語り
と言えば尾崎豊さんや長渕剛さん、浜田省吾さんなど…そんな中"どんなときも〜どんなときも〜"と
やるわけですから、ちょっと小バカにした感じの
視線が投げられます(笑)
たまたま僕がリハーサルをしている時に、
小さな地震があって、それでも演奏を止めない僕を、「あいつ地震やのに歌っとるわ〜」と3年生に
笑われたことをよく覚えています。
僕も若かったもので、"小さな地震ごときで
止めるような演奏なら、最初からすんな"と、、、
心の中で呟きつつ、
「どんなときも〜どんなときも〜」
…………(笑)
先述したとおり、普段ほとんど喋らないような僕が
体育館でピンで音楽の演奏をするわけです!
少しは打ち解けるきっかけになるかも?
とか思うわけです。
想定外のロマンスが…?!!リアルあすなろ白書か??!!
とか(笑)
担任直々の指令だったこともあり、ウチのクラスの
生徒は何人かは体育館に駆り出されていたと思います。
ウチのクラスはカフェか何かを教室でやっていたと
思いますが…演奏が終わってドヤ顔で教室に戻ると…
いたって普通(笑)というか、無かったことのように
話題にすらのぼらずでした。
まぁ多分、普通に下手だったんでしょうね。
それを踏まえて(?)翌年は、2人でやることにしました。
友達が2人だけ居たのですが、そのうちの1人が
ギターで弾き語りをしているのを知っていたので、
誘ったのです。
彼は美術部でありながら、オシャレで、
何だか女の子にもモテているようでした。
そこに目をつけた……わけではありませんが(笑)
僕のオリジナル曲を一緒に演奏もしました。
結果は……………
それはそれは、見事に、彼への黄色い声援だけが
飛び交うカオスぶり!!
今思うと、僕のしょっぱい音楽道はこの時点で
完全にそのフラグが立っていたのだと思います。。
ちなみにこの時はピアノでの弾き語りもしました。
ミスターチルドレンの「手紙」という曲でした。
かくして僕は、その後も何の変哲もない、
想定内の日常を通いきり、
高校をしれっとするっとまるっと卒業。
大阪へと旅立ちます。