タマラ アドバンストプラクティショナーのキョンです。
唐突に思ったんですが、
嫌いな人を嫌い!って思うのは仕方ないけれど、
その「嫌い」と思った自分に縛られるのはやめようと思いました。
どういう事かというと、、
一度「嫌い」と思ったからと言って、
ずっと嫌い、全部嫌いでいないといけないことはない、ってことです。
私、実は人の好き嫌いを自覚し始めたのは、
ほとんどここ数年のことで、
自分の内側にはあったんだけど、
嫌いなんて自覚しちゃうと、自分が汚れてしまうようで
「思っちゃいけない」と思ってました。
でも、その「嫌い」に蓋をしてしまうことの方が、
自分の中にマイナスを作ってしまい、
そのことが自分を汚してしまうのだとわかったんです。
だから、今は、嫌いなものは嫌いだ、
と、嫌う自分も認めています。
ところが、一度自分の中で「嫌い宣言」をしてしまうと、
もう、その嫌いな対象の100%が嫌いになるどころか、
それに付随する全てが嫌いになるという現象を起こしていました。
ヘンなところに発揮される私の完璧主義。
そうなると、その対象の人であれ、モノであれ、
ここ良いのではない?と少しでも思おうものなら、
キョンAが、「オマエ、先日嫌い宣言したろうも?!」
と、良さを認めることを許さないのです。。
それは、ちょっと苦しい。
そして、その完全嫌い主義は、
跳ね返って、自分に対しても同じことをやっている。
てゆーか、自分に無意識にやってることを、
人やモノにしていたのかもしれません。
面倒くさいなあ、、、相変わらず私。
でも、これは、嫌いという感情をしっかりと知るための
通過儀礼かも、、と思っています^^
好き嫌いは、感情・感覚ですが、
それをすべて行動に結びつけることを見直そうとしています。
なぜなら、それをすると、自分自身が縛られてしまうから。
感情・感覚から一呼吸置いて、行動することは、
仕事なんかでできてると思ってましたが
実は全然出来てませんです、、
あ、それと、
ある日突然、誰かを拒絶してしまう、という行動について、
理由は様々だと思いますが、
その理由の一つとして、
とても好きであるからこそ、
その相手を嫌いになった自分が嫌で
そんな自分と向き合いたくなくて、
拒絶するっていうのもあるんだと思いました。
向き合ったら、自分の何かがまた解明できるかも。