面倒くさい私の感情 | タマラ アクティベーター キョンの 『私を生きる!』

タマラ アクティベーター キョンの 『私を生きる!』

「タマラ」はあらゆる陽の素。
2002年にタマラを取り込める体となってから、目の前が色濃く、自分の輪郭がくっきりと変化してきました。
タマラは体を、そして何より心を元気にします!
誰でも望めば、アクティベーションを受けることができます。

タマラ アドバンストプラクティショナーのキョンです。

今朝、出勤しようとして、
駐車場に行くと、
マンションのどこかの引越しのようで、

軽トラが3台、出口を塞いでいました。
年に何回かあるこのパターン、、

普通に、車出ますから、と言うと、
車の鼻先に停まってた軽トラさんが移動してくれました。

でも、あと2台はそのままで、
移動しない。
私は、とても運転が上手い訳ではなく、
その2台のせいで、
駐車場から車を出せずに困っていると、

そのうちの1人のニコニコしたおじさんがやってきて、

「はいはーい、あ、そこでハンドル切って!はい、大丈夫よーー!」

とか笑顔で誘導してくれて、
私は無事に道路に出ることができました。

のだけど、、

その出られた瞬間の私の思考が、

《あーぶつけずに出られた、よかったー誘導してくれたオッチャンありがとう!え?!でも、このオッチャン達が私の車の前にでーんと我が物顔に停まってたからこんな目にあったんじゃね?!
しかも、あとの2台が道幅狭めてるから、
私が出られなくて困ったんじゃね?!
いや、出られたけど、これ、私が下手だから私が悪いってこと?
そもそも朝っぱらから人の車の鼻先に軽トラ停めて引越しって、どうよ!!》

こんな思考が一瞬にして駆け巡り、

でも、私は反射的に御礼を言おうとして、

するとまた

《いやいや、私に迷惑かけといて、
それのカバーしたからって、迷惑かけられた私がお礼を言うってどうよ??!!》

というのが駆け巡り、

口から出た言葉は、

「あ、どうも!」

そして走り去りました。

どうやら、私の御礼を言いたいけど、
言いたくない、という葛藤の挙句、

妥協して言った御礼のような、
そうでないような言葉が
「どうも」だったのです。

題名に、面倒くさい私の「感情」と書きましたが、

私の感情は、素直にほっとして、
オッチャンに感謝してるんでした。

でも、それを、思考が邪魔して、
キョンさん、あなた、お人好しにも程があるわよ、
これ御礼を言うべき?!

なんて、面倒くさくしてるのは、
私の思考だったのですね。


あはは。
ここまでこれを読んでくださった
あなた、
今思ったのではないですか?

あー面倒くさ!!笑笑

それでも、私にはとても大きな気づきがありました。
私は、感情と思考がごっちゃになってるし、
感情を思考が支配したがってるし、

その思考は、
私の善悪の価値基準に基づいているのです。

そして、行動は思考に支配されがちだと。


それでも、今朝、
私が親切なんだか迷惑なんだかわからないオッチャンに対し、

有り難い!って思ったのは真実なのだから、

もっと素直に感情を表現しても良いではないのー?と思っています。