タマラ アドバンストプラクティショナーのキョンです。
開田研修のワークの中で
縄文時代の自分の前世を視るものがありました。
楽しみに前世を視に行くが、、、
案外楽しくない。
私は、意外にしっかりした木造の建築を見ていた。
川に、柵が作ってある。
向こうには白い石造りの背の低い建物群が見える。
ふと気づくと、ものすごく太い柱の前にいる。
その柱は、とても高いものでもある。
自分より断然太いその柱の前に立ち止まる私(縄文時代の)。
なんとなく自分が女性であると感じた。
そこで終わる。
なんじゃこりゃ。
グループで話すと、みんな結構いろいろ見てる。
私、意味わからないな~と思っていたら、
友人が、
「その時、どんな気持ちだったの?」と聞いてくれ、
感情か~と振り返る。
「ふ~~ん。とか、へ~~。って思ってた」
そう、あのわくわくと前世を視に行ったにしては、
急に楽しくなくなったなあ。
柵を見て、意外にちゃんとしてんじゃん。
柱を見て、へえ、結構すごいじゃん、としら~っと思った。
その感動を抑えたしらっとした感情は何?
私は建築に興味があったの?
そう考えていくと、なにやら自分の感情をたよりに、
当時のことを思い出していった。
私は、女性でちょっとした権力者の娘かなんかで、
自分で働くことはしていなかった。ように思う。
それで、町をぶらぶら見て回って、
誰かが作った建築物を見て、結構やるじゃん、と
冷めた目で見ていた。
でも、その本心としては、
これは私の仕事じゃないし、
私は女だし。そんなことできないし。
でも、本当は、本当は、、、、
そこら辺まで考えていると、
「今の自分が縄文時代に居たら、何をしますか?」
とタマラさん。
私か~。今の私なら、熱く自分の思いを語り、
街づくりを自分の手でやるな。
ちょっと権力ある家みたいだから、
そこんところもうまく使うぜ。
そして、そして、
縄文初の女建築家になる!!
なんてことを考えた。
この時代の前世も、
自分がやる。
自分でやりたい。
と思っていた。
だから、今の、今世の私は、見ての通り、なのか。
この時代は、感情はコミュニケーションの手段であり、
感情を抑えないから、コミュニケーションはスムーズだったそうだ。
今は、そうはいかないな、、、と思ったが、
重要な話となると、
なぜ私たちは会おうとする?
それは、相手の表情を読もうとする下心?
ではなく、相手と分かり合いたいからだろう。
感情面も含めて相手とコミュニケーション取りたいためだろう。
しかし、重要な話ほど、
相手にこっちの肚を見せちゃ不利って言うよね。
そこで私は思う。
小っちゃいな。
自分の肚を見られたら、うまくいかないと思う
その心が小っちぇえよ。
相手より、ちょっとでも得をしようと画策する
その心が小っちぇえよ。
私は、相手にもっと知られたい私になるから!
そんでもって、私よりも、
相手に得をしてもらっても、
自分は有り余るほどの利益を得ているような
そんなでっかい事業をする!!
あ~ぶちまけちゃったよ。
で、その中身は?ってなると、
まだ考え中です。
さあ、何をやろうかなあ。
今の私には制約も枠もないんだよ。
縄文の私も、武家社会(おそらく近世)にいた私も、
女ってことをとっても制約に感じていた。
どうしても、女でありながら、
何かをやりたいとしか思えない。
あのわずかなビジョンで、ここまで想像し、
それが幻影でない証拠に、
自分で腑に落ちた感がとてもある。
これがこの研修のすごさ、
タマラさんのエネルギーフィールドの中で行う
ワークショップのすごいところと思うのだ。
そして、私の「感情」に着目し、
それをここまで引き出してくれた
同じグループの仲間たちに本当に感謝する。
本当に本当に有難う!!!
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