オーストラリア🇦🇺に来て 英語学校で
1番最初にカルチャーショックだったのが
日本と全く反対の「Ladies First
=レディ−ファ−スト」です
英語学校に入った初日 イギリス人の
男の先生とエレベーターで乗り合わせ
普段通りストップボタンを押しながら
男の先生が出るのを待とうとしたら
先生出ないで私が出るのを待っている
私 「ん??なんで??どぞどぞお先に💦」
先生(男)「・・(なんで出ないの?)ニッコリ」
私「....ヘ?あ?私 先出ないとダメな感じ??」
(慌てて 飛び出る💦 ペコリ~)
私「おおぉぉ〜!!これが噂の
”レディーファースト”かぁ〜!!」
(後になって 気分良くなる♪)
なんかいつも自分は後回しと
思い込んでいたけど 優先して
「ファースト」してもらうと
こんなに気分がいいもんなのだ−!
日本の男性はいつもこんな気分で
暮らしていたのか〜?!😵
と ちょっと目から鱗でした。
そしてバレンタインデーも!!
日本とは全く逆で
男性がお花🌹を買ったり
お食事に連れて行ったりしてくれます
小さな男の子でも
ちゃんとしたお家の子は
女性をエスコートするように
ママに厳し~く教育されております
今では有り難~く優先して頂けるように
なりましたが(なんなら日本でも
堂々と”勝手にレディーファースト” ヘヘヘ🤭)
こちらの「レディーファースト」
男性はやはり「女性より強い」
ので「か弱い女性は 強い男達が
守ってあげねば」という
騎士道精神から来ているようです(?)
実際 体力的にもそうですよね~?
たまに男性より逞しくて強そうな
女性もいるのですけれども...(私デス!😄)
BBQやホームパーティ–では 必ず男性が
肉や玉ねぎを焼き 切り分けてくれます
これも古代 狩猟生活時代
獲った獲物は家長が切り分けて
与える権利があったとの事で
その力と権力の証の名残かと?🤔
そう考えると 欧米の「レディファースト」も
日本の「男性優先」社会も
世界中で起こる戦争の元である
「どちらが(力が)強いか?=優れているか?」
が根底にあるような気が致します
ただ 日本で「弱き者」であった頃
あまり良い気分ではなかったけれど
オーストラリアで「弱き者」である私は
とても温かい気分で暮らせています
それは何故だろう??🤔
と考えてみると…..
「どちらが強いか?」
事実をハッキリさせるのは同じです
それは入学試験の上位者だけが
入学を許可されるのと同じで
「事実」だからしょうがないのかな??
と思いますが その事実に対する対応が
日本🇯🇵は
「強い者は 威張って良い」
オーストラリア🇦🇺は
「強い者は弱い者を助ける義務がある」
という 真逆の対応なのですね🌹
「比較するのはやめよう!」
「順位をつけるのはやめよう!」
🤔それはそうなんですが …
現実社会では順位をつけないと
やってけない所もありますよね...
会社も学校もスポーツもゲームも
「競争して お互いに切磋琢磨出来る」
という 良い面も絶対あると思うのです
最近の日本の小学校では
運動会も順位をつけなかったり
皆んなで手を繋いでゴールしたり
配慮している所もあると聞きました
それは「差別」や「嫉妬」が起こらず
良いとは思うのですが それを世界中が
徹底しないと 後々 現実社会のリアルな荒波で
傷つく 優し過ぎる人も出て来そうです
それじゃ~どうしたらいいの🤔?!
オーストラリア🇦🇺の「レディファースト」を
お手本にしたらどうでしょう??
比較や順位をつけるのは良いけど
その結果を、「良い」「悪い」と
ジャッジ(判断)するのはやめてはいかがでしょう??
「優れている」人が「良い人」なのではなく
余裕がある人が 足りない所を助けてあげる
「ありがとう」「いえいえ お互い様」で終わり♪
「勉強が出来る方が良い」
「スポーツが出来る方が良い」
「スタイルが良い方が良い」
「明るい性格が良い」
「目は大きい方が良い」
「鼻は高い方が良い」
「顔は小さい方が良い」
(最後の2つは オーストラリアでは褒め言葉ではなく
小顔は当たり前、鼻に関しては
高くて邪魔で整形する人の方が多かったり💦)
なども
どちらが良いと決めているのは「人」です
誰が決めているんでしょうか?
それって世間が周りの人がと言いますが
実は 自分が「そっちが良いと思い込んで
その考えに囚われている」だけなのですよね…
どちらが「良い」とか「優れてる」
と優劣を決めつけるのではなく
ちびまる子ちゃんのキャラクターのように
「みんなちがって みんないい
by 金子みすゞ 」 と
単なるキャラクターとして受け止める事が
出来たらいいな〜⁇☺️と思うのです
多国籍で外見も文化も皆んな
かなり違うオーストラリア🇦🇺
どちらが「良い」や「正しい」と言い合うと
答えは永遠に出ず いがみ合うしかなくなります
だから「好き」「嫌い」は思ってもいいけど
「どちらが正しい」とは決めつけません
お互いを「Respect (尊重)」するのです
「違い」はあるけど単なるキャラクターで
「優劣」をつけないで 受け止める
「区別」はしても
「差別」をしない
そしてもし「優れている」のなら
「威張って 馬鹿にする」のではなく
こちらの”レディファースト”をお手本にして
「足らない人を助けてあげる」
そんな余裕ある対応を心がけると
結果 自然と「優れている人は尊敬される」
そんな世界が理想じゃないかな〜??と
多国籍オーストラリアでつらつら考えるのです
♪ 花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね♪
SMAP ~世界に1つだけの花~より
by 槇原敬之さん