やっと続きを書きます。
先日書いた岸岳末孫にまつわる話は、
秀吉がいかに威勢が強くとも、我念力で家はほろぼす-。玄界灘に勢力を誇った武士団を束ねながら、豊臣秀吉に領地が没収され、滅亡した上松浦党の波多氏。亡き主君の恨みに思いを募らせ、後を追って切腹した家臣の辞世の句が今に伝わる。佐賀県唐津市とその周辺で語り継がれる「末孫(ばっそん)話」の一つだが、検証していくと、江戸時代後期、意図的に生み出された伝説だと分かる。
「藩による増税に領民が対抗するためだった」。唐津の近世史を研究する相知市民センター総務教育課の黒田裕一さん(50)は末孫話をこう読み解く。
波多氏は、唐津市北波多、相知町にまたがる岸岳に城を築いていた。この地域を中心に殉死や戦死した家臣の墓と伝わる石塔が山際や水田そばで数多く見られる。中でも、波多氏の菩提(ぼだい)寺「瑞巌寺跡」(同市北波多徳須恵)の丘陵では、石塔がまとまって安置され「旗本百人腹切り場所」と伝わる。地元ではこうした石塔を「末孫様」と呼び、ぞんざいな扱いをするとたたりがある神と信じられている。
詳しくは、こちら
文献には、戦死者はいなかったとありますが
怨霊化した今も成仏していない未浄化
霊は存在していると思います。
良く嬉野温泉や、武雄温泉に行くときなどに
唐津エリア経由で
出かけていましたが、
道中、祠や石碑が多くて車窓からの景色に気分が悪くなっていました。
以前は、福岡市西区に住んでいたので
高速でもあんまり変わらなかったのですけど
ある時から
絶対高速でしか行かなくなりました。
前にも書きましたが、
実際に知らずに泊まった佐里温泉のホテルで
お決まりの水がびちゃびちゃと言う音や、
団体客が泊まっているのか
一晩中騒々しくて、
部屋の前の往来も多く、
次の日に支配人(知り合い)に訪ねたら、
私が泊まった棟には、私たち一組だけだったそうで、びっくりでした。
で、後に祈祷師さんに
訊くと、ホテルの右側にある大きな崖の上に
岸岳城🏯が建っていたそうで
秀吉の側室になりたくなかった城主の妻?
とお供のお女中さんが崖から身を投げたとかで
お姫様飛び降りの崖と呼ばれているそうです。
でも宴会は、楽しそうだったので
私が異次元に行ったのか、
今も時が止まっているのかは、定かじゃありません。
さて、本当に怖いのはこれからです。
これも以前書きましたが、
新しい読者さまのためにまた
書きたいと思います。
以前私が勤めていた会社では、昔
大きなヨット事故があり
沢山のかたがなくなられたそうです。
その話は、タブーなのか
あることがあるまでは、
語られることは、なかったのです。
続きは、次回
4月に咲く桜は久しぶりですね。
今年は、入学式に桜とラッキーでしたね。
先日うちで食べただるまラーメンを
残していたので
酒蒸しで出たアサリのスープと合えたら
ばりうまでした。
私は腎臓病なんで、
スープは、飲めないから、いつもかなり残します。😭
娘に作りました。
アサリと豚骨ありでーす、
タケノコ500円って安いですよね。
私はこの間1200円で筍買ったのに😅
美野島商店街訪れてみたいです。
春は、特に旬のものが
エナジーチャージに良いですよ。
今日もお越し頂きありがとうございました✨
わあ、
一番書きたいこと忘れていました。
以下引用
山本投手は1回、ヒット2本とフォアボールでいきなりノーアウト満塁のピンチを招いたものの、後続のバッターに対してキレのある変化球と150キロ台後半の速球で3者連続で三振を奪い無失点で切り抜けました。