奇跡ってあるの??(その1) | スキルス胃癌と生きる

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 今日も真夏日で暑いのですが、午後から気分転換に美術館にでも行って、涼しいところで鑑賞し日常から離れて気分転換します。

 

 非日常的な行動を取ることで、病気を含めて当たり前に過ごしている日々のリズムから離れて、精神的にも肉体的にも違った刺激を与えることから、良い気分転換になります。

 

 以前少し触れたのですが、奇跡って信じますか??

 

 奇跡って言葉は「宗教」的に使われる言葉なので、少し胡散臭いと思われますが、言葉の定義の一つとしてこのように表現されています。

 

奇跡

https://kotobank.jp/word/奇跡-50628

 奇蹟〉とも書き,英語ではmiracle自然を超える力によって起こる,理性ではとらえられない不思議な出来事。多くの宗教に見られるが,とりわけキリスト教では,認定の手続などを含め大きな問題とされる。聖霊による処女マリアの受胎告知聖告)をはじめとして,イエス・キリスト自身の行った奇跡として,病者治癒(ちゆ),死者蘇生(そせい)などが伝えられる。諸聖人の奇跡譚,その芸術表現も数多い。日本の神道仏教における同様の事例は〈霊験〉といわれる。

 

 科学的な分析や心理学的な統計分析の範囲内では説明できない現象を示しており、理論的に説明できないこと(不思議・謎)の類になるのですが、言い換えてみれば宗教的に信じる者は救われる(救済・望み)でもあるわけです。

 

 以前勤務していた大学の宗教学の教授で仲の良い同僚が、「奇跡ってあると思う??」と聞いてきました。

 

 私は現実論者なので「物語として扱われるのはわかるよ。」と答えたのですが、彼は「いつでも奇跡は起きてるよ。」と答えました。

 

 このことを深く考えたことはなかったのですが、自分の置かれている状況を考えると、彼の言葉の意味が少し理解出来たように思います。なぜなら「望むことが起きたのも、そうでないことも」事が起こるのは原因もありますが、偶然でもあるのではないでしょうか。

 

 ただ違うのは望まない側からは「奇跡」ではなく「不幸」なのかもしれませんし、予測しえない事態であるわけですが、望むことが起きたとすれば、その人にとっては「奇跡」なのかもしれません。

 

 宗教的な意味で「信仰心」とかを説明に出すつもりではなく、自分の望む未来について、その人や家族が確たる思いをもって日々を過ごすことは、「望むことが起こる」ことで「奇跡」が起きるのだと思います。

 

 言い換えると「望み」を持って生きることで、精神的にも肉体的にも好循環が起き、悪い方に考えるのではなく、また過去に振り回されるのでもなく、「希望・望み」を持って現実と向かい合い、前向きに生きることによって叶うことがあったとすれば、それは自らが起こした奇跡なのかもしれませんね。

 

 奇跡とはその価値を自らが認めるものであって、第3者が判断するものではないのかもしれませんから、一部の宗教では認定を行っていることが物議を起こしていますが、凡人の私たちは日々の中で望みを持って前向きに生きていれば、自分の中で「奇跡」が起きるかもしれませんし、そう信じることは良いことでなのでしょう。

 

 ともすれば悪い方向に考えがちですが、そんなこと考えても良いことはないので、明日を信じて前向きに生きたいものです。

 

 さあ気分転換して、少し憂鬱な気分を振り払います!!