東京には多くのプロ・オーケストラがある。
N響、読響、都響、東京フィル、日フィル、東京交響楽団、新日本フィル、東京シティ・フィル、パシフィックフィルハーモニア東京などである。私自身も読響の定期会員で、日フィルや都響などの演奏会にも足を運んでいる。しかし、ふと不思議に思った。これだけ多くのオーケストラがあり、毎日のように東京のどこかで演奏会が開かれている。一体、誰がこれだけの演奏会を聴いているのだろう。
■ クラシックの聴衆はどのくらいいるのか
今回調べて分かったのは、演奏会の入場者数と、クラシック音楽を聴いている人の実人数は同じではないということだった。在京主要9オーケストラだけでも、2024年度には合計約1,300公演が行われ、延べ約166万人が来場している。しかし、これは166万人の異なる人が来ているという意味ではない。私自身がそうであるように、クラシックの聴衆には年間何回も演奏会へ行く人がいる。定期会員なら同じオーケストラを年に何度も聴くし、さらに別のオーケストラにも行く。つまり東京のクラシック市場は、巨大な人数の人が年に一度来場するというより、一定数の愛好家が繰り返し演奏会へ足を運ぶことで成立している面が大きい。年齢層も比較的高い。時間と可処分所得にある程度余裕のある中高年層が重要な顧客になっている。
当初私は、東京には富裕層が多いこともクラシック市場を支えているのではないかと考えた。
野村総合研究所の推計では、純金融資産1億円以上の「富裕層・超富裕層」は全国で約165万世帯、5,000万円以上まで広げると約568万世帯になる。しかし、クラシック音楽の市場を考える場合、富裕層だけを見るのは適切ではない。年間所得が特別高くなくても、旅行ショッピングなどと同じように、自分の好きなものに継続的にお金を使う人がいるのではないか。クラシック音楽を聴くことを趣味の一つにしている層が存在するのではないか。
問題は、このような固定客が20年後、30年後にも同じ規模で存在するのか、ということだ。
現在の主要な聴衆が高齢化していけば、次の世代が同じように年間何度も演奏会へ来るとは限らない。ここから、オーケストラの経営そのものに興味が出てきた。
■ オーケストラはチケットだけで経営できるのか
オーケストラは80~100人前後の専門職である演奏家を抱える。さらに事務局があり、ホールを借り、指揮者やソリストを招聘し、大型楽器を運搬する。非常に固定費の大きな組織である。そこで、日本オーケストラ連盟の2024年度資料などから、在京オーケストラの経営規模を調べてみた。
主な楽団は次のようになっていた。
*NHK交響楽団
年間収入 約33.2億円 演奏収入 約15.9億円楽員 約100人 年間公演116回
*読売日本交響楽団 年間収入 約20.1億円 演奏収入 約8.1億円 楽員 約90人 年間公演 96回
*東京フィルハーモニー交響楽団 年間収入 約19.2億円 演奏収入 約17.4億円 楽員 約130人 年間公演 369回
*東京都交響楽団 年間収入 約18.4億円 演奏収入 約5.1億円 楽員 約90人 年間公演 112回
*日本フィルハーモニー交響楽団 年間収入 約15.1億円 演奏収入 約9.7億円 楽員 82人 年間公演 136回
*東京交響楽団 年間収入 約13.2億円 演奏収入 約10.3億円 楽員79人年間公演 154回
*新日本フィルハーモニー交響楽団 年間収入 約12.9億円 演奏収入 約9.8億円 楽員90人 年間公演 150回
*東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 年間収入 約4.1億円 演奏収入 約3.5億円 楽員56人 年間公演100回
*パシフィックフィルハーモニア東京 年間収入 約3.0億円 演奏収入 約2.7億円 楽員 36人 年間公演72回 パシフィックの楽員数は資料調査時点の数字で、その後に大量退団が起きているため、現在の実勢とは分けて考える必要がある。
こうして並べると、同じ「在京プロオーケストラ」といっても、規模がまったく違う。
■ 誰がオーケストラを支えているのか
さらに面白かったのが、資金の出所である。
N響は公益財団法人であって国営オーケストラではない。しかしNHKとの強い関係があり、支援組織などから約14億円規模の収入がある。
読響も公益財団法人で、読売グループという大きな背景を持つ。2024年度には約10.3億円の民間支援が計上されている。
都響の場合はさらに明瞭だった。年間収入約18.4億円に対して演奏収入は約5.1億円。東京都から約10.2億円規模の支援を受けている。
つまりN響、読響、都響には、それぞれNHK、読売グループ、東京都という強い基盤がある。
一方、東京フィルはかなり違う。年間収入約19.2億円のうち、演奏収入が約17.4億円。しかも年間369公演である。約130人という大人数の楽員を抱えながら複数の編成を動かし、オペラ、バレエ、依頼公演などを数多く引き受ける。いわば「演奏して稼ぐ」比率が非常に高いオーケストラである。
■ チケット収入だけではない
日フィル、新日本フィル、東京交響楽団などの民間オーケストラは、さらに複数の収入源を組み合わせている。
新日本フィルの2024年度収入構成を見ると、
出演料 44% チケット収入 25% 補助金・助成金 15% 民間支援 6% 協賛金 5% その他 5%となっていた。チケット収入は全収入の約4分の1なのである。 定期演奏会が満席なら経営できる」という単純な世界ではない。日本オーケストラ連盟加盟40団体全体でも、2024年度の収入は約290.9億円。そのうち演奏収入は約159.0億円だった。残りは民間支援、自治体、国・基金、助成財団、寄付などによって支えられている。
■ 20年後、30年後を考えてみる
現在は東京という巨大市場がある。企業が集中し、大規模なホールもあり、クラシック音楽を長年聴いてきた固定客もいる。しかし20年後、30年後はどうだろう。人口減少、聴衆の高齢化、若い固定客の確保。さらに人件費、ホール代、楽器輸送費、公演制作費、海外からの指揮者やソリストの招聘費も上昇する。企業協賛や自治体からの支援も、現在と同じ規模で続くとは限らない。そこで、将来の選択肢の一つとして「経営統合」を考えてみた。
■ 経営統合を考えてみた
ここでいう経営統合は、二つのオーケストラを一つにして、一方をなくすという意味ではない。例えば日フィルと新日本フィルなら、それぞれの楽団名、楽員、定期演奏会、音楽的な個性は残す。一方で、経理、人事、広報、チケット販売、スポンサー営業、IT、事務所、楽譜管理、購買などの経営部門を共通化する。つまり、「一つの経営組織の中に二つのオーケストラを置く」という考え方である。海外を調べると、一つの運営組織が複数のオーケストラや合唱団を運営する例もあった。そこで実際の数字を使って簡単なシミュレーションをしてみた。
■ 日フィル+新日本フィル
2024年度の日フィルは、収入 約15.12億円 支出 約15.25億円 楽員 82人 事務局 約33人 年間公演 136回
新日本フィルは、収入 約12.86億円 支出 約12.40億円 楽員90人 事務局 約25人 年間公演 150回 単純合算すると、収入 約27.98億円支出 約27.65億円 楽員 172人 事務局 58人 年間公演 286回
となる。ここで考えたのは、楽員を減らすことではない。重複する管理部門を共通化する。仮に長期的な自然減などによって事務部門10人相当を合理化し、一人当たりの総コストを年間700万円と仮定すると約7,000万円。さらに事務所、ITシステム、広告、購買などの共同化で年間3,000万円程度を削減できると仮定すれば、年間約1億円になる。これはもちろん実際に1億円削減できるという数字ではない。経営統合の可能性を見るために置いた仮定である。単純合算では約3,000万円の黒字相当なので、この仮定なら年間約1.3億円の余力が生まれる計算になる。
■ 日フィル+東京交響楽団なら同じ方法で日フィルと東京交響楽団を合算すると、収入 約28.28億円 支出 約28.39億円 楽員 161人 事務局 57人 年間公演 約290回 となる。単純合算ではほぼ収支均衡である。仮に管理部門などの共同化によって年間1億円程度の改善効果が得られるなら、約9,000万円の余力が生まれる。これもあくまでシミュレーションである。
■ オーケストラを減らすための統合ではない
ここで重要なのは、演奏家を減らすことを目的としていないことである。例えば日フィル+新日本フィルなら172人の楽員がいる。これを一つの巨大オーケストラにする必要はない。日フィルと新日本フィルという二つの演奏組織を残せば、一方が定期演奏会を行っている夜に、もう一方が別会場で依頼公演を行うこともできる。逆に巨大編成作品では、必要に応じて合同編成も可能になる。 東京フィルが約130人の楽員を抱えながら年間369公演を行っていることを考えると、大人数だから必ずしも非効率とは限らない。複数の編成を高稼働させる方法もある。したがって、「オーケストラを減らすための経営統合」ではなく、「現在あるオーケストラを将来も残すために、経営を共同化する方法はないのか」という発想である。もちろん、実際には雇用条件、労働組合、スポンサー、資産・負債、ホールとの契約、それぞれの楽団の歴史など多くの問題がある。だから統合すべきだと結論づけるものではない。ただ、20年、30年先を考えるなら、研究する価値のある選択肢ではないかと思った。
各オーケストラの規模を比較しているうちに、東京シティ・フィルが気になってきた。正規楽員は約56人。N響、読響、都響などと比較すればかなり少ない。それでも50年以上活動を続けている。しかも小編成作品だけではなく、ブルックナーやマーラーなどの大編成作品も取り上げている。当然、作品に応じて客演奏者、いわゆる「トラ」を加える。2027年3月にはマーラーの交響曲第3番とブルックナーの交響曲第8番が予定されている。正規楽員約56人のオーケストラが、多数の客演奏者を加えてどのような演奏をするのか。
そこに興味が出てきた。東京には音楽大学を卒業し、国内外で研鑽を積んだフリーランスの演奏家も多数いる。常設オーケストラの楽員だけではなく、客演奏者を含めた演奏家層そのものが以前より厚くなっている可能性もある。 まとめていくのは指揮者の仕事であろう。常任の高関は桐朋学園で学び、1977年にカラヤン指揮者コンクール・ジャパンで優勝。その後ベルリンへ留学し、ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントを務めた。1981年にはタングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタイン、小澤征爾らに学び、1983年にはニコライ・マルコ国際指揮者コンクール第2位、1984年にはハンス・スワロフスキー国際指揮者コンクールで優勝している。東京シティ・フィルでは2015年から常任指揮者を務めており、すでに10年以上の関係になる。正規楽員約56人を核に、作品によって多数の客演奏者が加わるシティ・フィルを、高関がどのようにまとめているのか。カラヤンのもとで学んだという経歴も含めて興味がある。まだ実際に聴いていないので評価はできない。まず10月10日の「展覧会の絵」を聴いてみようと思う。
■ おわりに
今回調べてみて改めて感じたのは、オーケストラという組織の不思議さである。100人近い演奏家を抱える楽団もあれば、50人程度の常設楽員で50年以上活動してきた楽団もある。大企業や自治体の支援を大きな柱とするところもあれば、年間数百回演奏することで収入を得るところもある。同じ「オーケストラ」でも、成り立ちも経営方法もかなり違っていた。そして、現在うまくいっている方法が20年、30年後にもそのまま通用するとは限らない。 だから経営統合についても考えてみた。目的はオーケストラの数を減らすことではない。むしろ逆である。私は日本のオーケストラが好きだから、できるだけ多くの楽団に残ってほしい。
そのためなら、それぞれが単独で存続する方法だけではなく、経営を共同化する方法、小さな常設編成を核にする方法、東京フィルのように複数編成を高稼働させる方法など、いろいろな可能性を考えてもよい時期ではないのか。