コミュニケーションの大前提 | 立命館大学ビジネススクール教授 高橋慶治のブログ

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立命館大学ビジネススクール教授、合同会社人間開発研究所代表社員、元臨床心理士、元JOC強化スタッフ(メンタルトレーニング、コーチング)の高橋慶治が、マインドフルネス、メンタルタフネス、ストレスマネジメント、コミュニケーション&人間関係など色々書いています。

コミュニケーションでとても大切な考えがあります。それはコミュニケーションの大前提になる考えです。

 

この大前提を意識して情報を発信しないと

 

「そのような意味で言ったのではない」

「誤解を生む言い方だった」

「そんなふうに受け取られるとは思ってなかった」

 

というようなことが起こってしまいます。

 

コミュニケーションの怖さは、このように情報を発信したとしてもどのように受け取るか、自分でコントロールできなくなることです。コミュニケーションの大前提を常に意識して情報発信をすることです。

 

さて、その大前提とは

 

「コミュニケーンヨンの意味とは、送り手の意図とは全く関係なく、相手が受け取ったものである」

 

これは、一般意味論やNLP(神経言語プログラミング)で言われるコミュニケーションに関する考えです。

 

「怒るなよ!今のは良い意味で言ったんだよ」

「今の発言は悪い意味にしか受け取れないよ!」

 

となったらそのコミュニケーションで伝わった意味は悪い意味になってしまうのです。意図が肯定的であろうが善意であろうが関係ないのです。

同じメッセージでも、状況や人によって受け取り方が異なってきます。

 

私が授業や研修で、この大前提の説明時によく使う歌があります。

仏教の唯識の考え方を示す和歌なのですが、『唯識十章』(春秋社)という本の中で、興福寺の高僧、多川俊映師が述べています。

 

「手を打てば、鯉は餌と聞き、鳥は逃げ、女中は茶と聞く猿沢の池」

 

猿沢の池のほとりで誰かが手を「パン、パン」と打ちます。すると池の鯉はこれまでの習慣から餌がもらえるものと思い、岸辺に寄ってきます。また、近くにいた鳥はその音に驚き、飛び去ります。さらに、近くのお店の女中は自分を呼んでいるものと思い、大きな声で「はーい、お茶お持ちしまーす」と返事をする。そのような情景が目に浮かびます

 

つまり、この歌は同じひとつの出来事であっても、それを受け取る者が違えば、受け取り方が異なることを示しています。

仏教的にはまた手を叩いた音は、音を聞いた者との関係性、つまり縁の中でしか、意味をなさない、という考えを示しています。

 

コミュニケーションの例えとして解釈すれば、同じメッセージでも、相手によって全然伝わるものが違うということを示しています。

 

ですから、人とコミュニケーションをとるときには、メッセージを相手がどんな意味に受け取るか、よく考え、そして確かめないといけません。こちらの意図と違う伝わり方をしないように注意し、違う伝わり方をしたなら、修正をかけながら話を進めなければなりません。

 

こう言うと難しいようですが、親しく気心の知れた仲間たちの会話では、そうしながら会話をすすめていったりしています。

例えば、「君って、変わってるよね」と言っても 、「そんなに変か?」と不快感を示す人と、「そうでしょ!」って喜ぶ人もいます。

相手の反応によっては、「いや、そういう意味じゃなくてさ」などと、説明しながら会話を続けたりします。

 

私たちは、人とコミュニケーションをとるときに、なんらかの反応を期待してアクションを起こします。その「反応」をゴール(目的)とすると、自分の「意図」や予測とのあいだに次の法則が成り立ちます。

 

「意図≒反応」が近いほど、よいコミュニケーションであると。

 

例えば、職場に若い仲間が多いから、話を合わせようと思って、アイドルの話をしてみたとします。「部長も好きなんですか!仲間ですね」と好意的に受けとめてくれたなら、意図と反応が近いので、よいコミュニケーションです。

 

ところが、「無理してオレたちに媚びてるんじゃないの」と眉をしかめられたら、期待した反応と程遠いので、よいコミュニケーションではありません。相手の反応が意図に反していれば、それは失敗です。

 

「意図≒反応」を近づけるためには、状況を理解し、相手の価値観や立場、相手の視点を考えてコミュニケーションを行うことがとても大切なのです。