【生品神社と新田義貞】鎌倉倒幕の出陣の地 | Mrネクストのじっくり読むブログ

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卓球の記事については、嘆きと反省になります。

 

 
新田義貞が鎌倉攻めをした時、山からではなく、海沿いから襲います。
稲村ヶ崎の海岸で、新田義貞公が上の像のポーズを取ると、海岸の潮がサーッと引き、それで攻め込むことが出来たのです。
 
 
鎌倉殿の13人で、鎌倉幕府の初期のことをやっています。歴史小説で言えば「平家物語」の後半ですね。私は、源頼朝より源義経が好きです。
だからという訳ではないのですが、生品神社にちょっとした縁があり、寄っています。群馬県の太田市です。
この時代は、歴史小説なら「太平記」初期です。
 
 
新田義貞は、後醍醐天皇の命により、鎌倉幕府の討伐を目指し、ここ「生品神社」で決起します。この時の兵は、わずか150騎でした。
 
 
その後、新田義貞の元には、次々に倒幕の兵が集い、鎌倉では8000騎以上になりました。
稲村ヶ崎の奇跡もあり、わずか15日で鎌倉幕府の討伐を果たしました。
義貞が討伐を果たして、生品神社では、勝負の願いが叶うと言われています。それとも勝ちの願いが叶うから、新田義貞が、生品神社で決起したのかな?
どっちかな?
ニワトリと卵?
 
 
新田義貞は、倒幕を果たしたここまで「英雄」でした。
「太平記」には、新田義貞と後醍醐天皇や、足利尊氏に楠木正成などが登場します。それぞれが活躍しますので、新田義貞も大変です。
一度は天下に手が届いた新田義貞ですが、天皇から貴族の美女を賜ったばかりに、うつつを抜かしてしまいます。
女に夢中になって、「追っ手の手」を緩めてしまい、息の根を止めることを怠りました。そして、後に自分自身が討たれる種を残してしまいます。
 
 
生品神社の本殿の前に、屋根付きのクヌギの木の切り株があります。そして、きちんと保存用に加工されています。これが、旗揚げの時、軍旗を掲げたクヌギの木とされています。
 
 
大事な時に、美女にうつつを抜かして失敗するとは、なんとマヌケな話しでしょう。でも、これって羨ましくもあります。
私ちだって、今になって思えば、「あの時、こうやっていれば」ってこともある訳で!!
 
少なくとも違う人生に、なっていましたね。
 
 
こんなことを考えながら、神社の裏手に行って見ると、「チカンちゅうい」の看板がありました。
そういう話じゃないんだけど!