9月12日(金)
仕事の都合で、『チキンシャック』への到着が遅れてしまった。肩に食い込むレコードバッグの重みによろけながら自転車を走らせて、赤線へ辿り着くと、ノゾムさん、JCさん、アシュトン等、CSPの面々が、『チキンシャック』の店先で談笑していた。
「おお、来たね。まだライヴはこれからなんだ。コダマくんが2曲くらい回したら、始めるよ」
DJブースに荷物を降ろして、トイレに向うと、ノゾムさんが冷えた缶ビールを渡してくれた。
「コダマくん、俺等、最初のステージは4、5曲やって、止めるから、そのあと宜しく頼むね。後で、また演るから。今日、まだ仲間が集まっていなくてさぁ」
もう、午後10時なのに、この街の夜は始まったばかりだ。普通の街のライヴハウスで最初のライヴ・スタートが10時過ぎなんて、あり得ないだろう。この界隈に集う、夜に棲む人たちは、心では、日が暮れてからすぐに、赤線を彷徨いたがっていると思うが、もっと遅い時間帯にならないと、出歩こうとしない。皆、それぞれのルールとペースとライフスタイルがあり、それを絶対に崩そうとしない。良く言えば、カッコいいし、悪く言えば、ちょっと微妙......かもしれないが、結局は、それで万事、物事が無事に纏まって行くのだから、不思議だ。こんな懐が深くて、面白い街は他所には無い。
程無くして、ボブ・マーリーのライフストーリーが映っていた白い幕が上がり、楽器を抱えて、ステージに佇むCSPの姿が、照明に浮かび上がった。
バンドは、場内に流れていたマロのパーカッシヴなラテン・ロック『Just say goodbye』に合わせて、ジャムセッションを始め、やがて、白いカッターシャツの胸をはだけたノゾムさんがステージに上がり、集まった観客にライヴのスタートを告げ、フリーソウル・スタイルの『コンドルは飛んでいく』を歌い出した。
DJブースにやって来たアイコちゃんから戴いた缶ビールを有難く飲みながら、ソウルフルな演奏を楽しんでいると、もう一人のDJである、Ninjya-Kさんが、7インチレコード専用の大きなトランクを抱えて現れて、挨拶を交わす。トランクの中はジャマイカ盤のレア7インチがいっぱいだ。
『What's goin' on』の熱演で、最初の出番を終えたCSPがステージを降り、しばし俺のDJタイムになった。スピナーズ、ヤング・ホット・アンリミテッド、フランク・クニモンド・トリオの『愛のプレリュード』、エルヴィス・コステロの『ニューレース・スリーヴス』......。そうこうしているうちに、夏の狂騒の余韻を惜しむ人たちが徐々に集まり、ノゾムさんの合図で、2ステージ目が始まる。
ベースのクリスが歌う『ロング・トレイン・ランニング』の後、トイレで用を足し、外へ出て涼み、以前通っていた『チキンシャック』の斜向かいにあるピンク色の看板を掲げた外人バーの前にGIたちが屯しているのを見て、俺は、4年前の夏の終わりを思い出していた。あの店で好きだったJのイバラの刺青、夜毎の狂騒、フィリピン料理の味、メッセージを書き込んで壁に貼り付けた1ドル札、ロシア人と日本人とのケンカを仲裁した夜、それから.....。
店内に戻ると、CSPが、『プラウド・メアリー』をロッキッシュに演奏していて、お客さんは大喜び。終演の後、Ninja-KさんとDJを交代して、アイコちゃんと近くの店にラーメンを食べに行くことにした。
『ブラボーヌードル』で、懐かしい味のラーメンを食べながら、アイコちゃんとお喋り。ヤマナカさんから、アイコちゃんが映像作家を志していることは聞いていたが、俺と同様に本の虫だということは知らなかった。
「日本の作家で一番好きなのは、川上弘美さんなのよ。あのひとの新刊はすぐに読むの......とにかく、本が好きで、小さい頃から本ばかり読んでいたわ。中学の頃、キルケゴールが好きだった」
「キルケゴール!凄いね。フランスのひとだっけ?」
致命的な知ったかぶり。キルケゴールは、デンマーク人だった。それはそうと、アイコちゃんは今、自分のやりたいことのために、人生列車のレールを敷き直しているようだ。点と点が繋がって行くことが、なによりも重要だ。今は、ポルノ業界で頑張っているはずの、かつての同僚、タカノさんが教えてくれた、彼が好きだという、アップルコンピューターの創始者スティーヴ・ジョブスの感動的なスピーチの一節を思い出す。
......未来に起こることを見越して、点と点を繋ぐことは出来ない。だけど、将来、点同士が、何らかの形で繋がって行くことを信じること......自分の資質を固く信じ、心と直感の赴くままに行動して、その結果転がり込んでくる、様々な事柄と向き合うこと......Stay Hungry. Stay Foolish. ハングリーであれ、馬鹿であれ。
俺もそうありたいと思う。
『チキンシャック』に戻ってみると、お客さんが詰め掛けていて、ノゾムさんが、立ち話をしていたアシュトン、クリスに「もう一回演ろう!」と言った。
「さっき来たお嬢さん達が、聴きたいってさ!あと2曲くらいやろう」
三度ステージに立ったCSPは、サイモン&ガーファンクルの曲をハイ・スピードで演奏し始め、俺は「あっ、『ボクサー』だ!いいな」と思ったが、さにあらず、それは『早く家に帰りたい』だった。
ライヴは、大詰めを迎えて、ジャムセッション大会になり、メンバーそれぞれのソロをふんだんに盛り込んだ、ノゾムさんによるメンバー紹介タイムは、とてもホットでスリリングなひと時だった。
ジミ・ヘンドリクスのフレーズで魅せた、天才肌ギタリスト、アシュトンのソロの後、ステージ右手でストイックにテレキャスターを弾いていた穏やかな雰囲気の少年をノゾムさんが、「天才は天才を呼ぶんだね......前回のギターバトル選手権で準優勝した、原田2号!」と紹介して、ステージ中央に押し出した。
そして、彼が弾いたフレーズがなんとも言えず良かった!手数が多い訳ではなく、決して派手でもない、ストイックで胸に迫る、叙情的なギタープレイ。16ビートの裏の裏まで知り尽くしているかのような素晴らしい演奏だった。
ライヴが跳ねた後、外で涼んでいると、車に乗った原田2号くんが帰って行き、傍らにいたJCとアシュトンが俺に向って言った。
JC「彼は、将来、絶対有名になるよ。ホンモノだ」
アシュトン「あんな、クリーンなマインドを持ったギタリストには、初めて会ったよ」
お店はバー・タイムになり、DJブースでレコードを選んでいると、ノゾムさんが、カクテルと缶ビールを持ってきてくれた。琥珀色の酒を入れたウイスキータンブラーの中に、別の酒を注いだショットグラスが入っているカクテル。
「それ、シャークとイエガーマイスターが入っているんだ。二つ同時に飲むように。疲れたら、いつでも言ってよ」
初めて飲んだ、そのカクテルは、とても濃厚で美味しかった。
DJを交代し、カウンターで一息ついて、今月の27日にこのお店で、花田裕之氏のライヴがあることを思い出し、ノゾムさんにそのことを言うと、「良いよ、遊びにおいでよ」と言ってくれたので、ありがたく観に来ることにして、ふと、開け放されたドアの向こうを見遣ると、素通しのメガネをかけたヤマナカさんが、自転車を漕いで通り過ぎて行ったので、声をかけて、久しぶりに一緒に飲むことになった。ヤマナカさんは元気そうでなにより。
明日仕事があるNinja-Kさんが帰り支度を始めたので、再びDJブースに入る。Ninja-Kさんの今日最後の曲は、ボブ・マーレーの『スモール・アックス』で、「良いね!良いね!」と盛り上がる。「お前が木なら、俺は小さな斧だ。いつかお前を倒してやる」という歌詞が感動的だ。
明け方近いが、カウンターからは笑い声が聞こえる。店の奥のブースからはカウンターの様子は見えない。ひとりでサクサクとレコードを選んでいると、アルバイトのAちゃんが、コロナ・ビールを差し入れてくれた。
「お客さんは、なかなか切れないし......ここで、ひとりでやっているのに疲れたら、カウンターで休めば良いし、飲み物が欲しくなったら、いつでも言ってね」
「優しい子だなあ」と思いつつ、ありがたくコロナを飲む。
いつしか時刻は5時を回っていて、そろそろ閉店だなと思っていると、Aちゃんがやって来て「メガネをかけた女の人が、さっきかけた曲をまた聴きたいって.....5時12分にかかっていた曲が聴きたいって」
ヤマナカさんに確かめに行くと、「5時12分にかかっていた曲よ。私、いつもお店では、何時何分にかかっていた曲っていう風に覚えておくの。ピアノが入っていた曲よ、あれは何て曲?」
ヤマナカさんの聴きたい曲はヤング・ホット・アンリミテッドの曲だった。アルバムジャケットをヤマナカさんに見せる。
「これは、How sensitiveって曲で、『なんて、繊細なの!』って意味ですね」
「まあ、私にぴったりの曲じゃない!」
「俺にもぴったりですね!」
と、2人で大笑いしたが、部屋に帰った後、よく確かめてみたら、『How sensitive』ではなくて、『How insensitive』が正しい題名だった。「なんて、鈍感なの!」って曲だ。ともあれ、ヤマナカさんは別にして、俺にはぴったりの曲かもしれない。
扉の外はもう明るい。それでも、赤線通りには、まだ人が行き交っている。ノゾムさんが俺のためにと、シェーカーを振り、カミカゼを作ってくれて、締めの乾杯をする。
その後、ヤマナカさんと『アマゾン』へ行ってみると、ナゴムくん、ツトムくん、ジョーカーがいて、皆で楽しく飲み、8時前に散会、オレンジ色のサングラスをかけて、自転車を漕いで部屋に辿り着き、失神するかのように眠りに就く。

