龍の国、犬の国
気づいた人もいるかもしれませんが、ブータンでは「Druk(ドゥルック)」という言葉にしょっちゅう出くわします。国営航空は「Druk Air」で、僕が滞在しているのは「Druk Hotel」で、街角の宝石店は「Druk Jewelry」で、この国唯一のインターネット・サービス・プロバイダーは「DrukNet」です。この「Druk」というのはブータンの言葉で「龍」という意味です。ブータンの人々は自国をなぜか「龍の国」と呼び、「Bhutan」と「Druk」という言葉はほぼ同義語のように使われています。ブータンの国旗にも、この「龍」が描かれています。
この「龍の国」ブータンには、野良犬がやたらに多いです。「龍の国」というよりは、「犬の国」と呼びたくなるくらい本当に犬だらけです。犬が嫌いな僕にとって、快適なブータン滞在で唯一不快なことは、犬です。夜中でも犬が吠えまくって、とてもうるさい時があります。ブータン人もこの野良犬の多さには困っているようで、どうにかしたいそうですが、生類憐れむ仏教徒なので犬を殺すわけにはいかないということです。輪廻によって先祖が犬に生まれ変わっているかもしれないし、自分も将来は犬に生まれ変わるかもしれないからです。ブータン環境委員会のイェシェイさんによると、ブータンにいる多くの野良犬はインドから国境を越えてやってきた犬だそうです。不法移民ならぬ不法移犬だと笑っていました。ビザの発給が厳しく、外国人入国者数を制限していると言われるブータンも、犬にビザを発給するわけにはいかず、流入する犬を制限する有効な手段は今のところないようです。
この「龍の国」ブータンには、野良犬がやたらに多いです。「龍の国」というよりは、「犬の国」と呼びたくなるくらい本当に犬だらけです。犬が嫌いな僕にとって、快適なブータン滞在で唯一不快なことは、犬です。夜中でも犬が吠えまくって、とてもうるさい時があります。ブータン人もこの野良犬の多さには困っているようで、どうにかしたいそうですが、生類憐れむ仏教徒なので犬を殺すわけにはいかないということです。輪廻によって先祖が犬に生まれ変わっているかもしれないし、自分も将来は犬に生まれ変わるかもしれないからです。ブータン環境委員会のイェシェイさんによると、ブータンにいる多くの野良犬はインドから国境を越えてやってきた犬だそうです。不法移民ならぬ不法移犬だと笑っていました。ビザの発給が厳しく、外国人入国者数を制限していると言われるブータンも、犬にビザを発給するわけにはいかず、流入する犬を制限する有効な手段は今のところないようです。
ブータン人は体育会系
ブータン人の男性は、みんなとても健康的に見えます。太っている人が全然いないし、服の上から見ても、かなり鍛えられた体だなあと分かります。これは、僕が思うに山道を歩いて鍛えられた人が多いからじゃないでしょうか。山道だけじゃなく、街の中でもブータン人はよく歩きます。自動車もあんまりないし、エレベーターもないので歩くしかないのです。ブータンには、信号機がひとつもないと聞きました。そのくらい自動車が少ないのです。エレベーターのあるビルは、首都のティンプーでさえひとつだけだそうです。要するに、水平移動も垂直移動も、主要な交通手段は徒歩なのです。こんなに空気の薄い高地で、これくらい歩き回ると、かなり体が鍛えられるのかもしれません。
ブータン男性のもうひとつの特徴は、短髪です。「もしかしたら、髪の長さが法律で決まっているのかもしれない」と思わせるほど、長い髪のブータン男性は全然いません。みんな丸刈りかスポーツ刈りのような髪型をしています。鍛え上げられた体に短い髪。ブータン男性は、みんな精悍な体育会系に見えます。
ブータン男性のもうひとつの特徴は、短髪です。「もしかしたら、髪の長さが法律で決まっているのかもしれない」と思わせるほど、長い髪のブータン男性は全然いません。みんな丸刈りかスポーツ刈りのような髪型をしています。鍛え上げられた体に短い髪。ブータン男性は、みんな精悍な体育会系に見えます。
ブータンのインターネット事情
ブータンではご存知のように1999年までテレビが禁止されていました。インターネットが解禁になったのも、やっぱり1999年です。この年はブータンにとって、情報メディア元年と言っても過言ではないですね。
その1999年に開業したブータン唯一のインターネット・サービス・プロバイダーは、「DrukNet(ドゥルックネット)」という名前です。実は先日、僕もこの「DrukNet」に加入しました。ブータンに来てからのこのHPの更新は、全て「DrukNet」のおかげです。僕が加入したのは短期滞在者向けで、加入から90日以内で最大20時間使用できるというカテゴリーです。これで、600Nuでした(ブータンの通貨単位はヌートラムといい、Nuと表す)。日本円に換算すると、約1500円くらいでしょうか。
僕が滞在している首都ティンプーのホテルには、ビジネス・センターにコンピューターが一台置いてあってインターネットが使えます。これは一分間使用につき5Nu(約12円)です。ホテルのそばにはインターネット・カフェもあって、こちらは一分間につき2Nu(約5円)とられました。ブータンに着いて何度か、ホテルのビジネス・センターやインターネット・カフェでインターネットを試しましたが、どちらも恐ろしくスピードが遅いです。例えば30分間使用したとして、このうちの20分はただ画面が現れるのを待っている時間です。しかも当然ながら、ブータンのコンピューターでは日本語の読み書きができません。これではあんまり意味が無いので、思い切って「DrukNet」に加入したという訳です。今は、愛用の「DynaBook」から「DrukNet」にアクセスしてこれを書いています。
2001年末時点で、「DrukNet」への加入者は約千人に達したそうです。ブータンの人口は約70万人ですから、インターネットの普及率は単純計算で700人に一人の割合です。首都ティンプーには、上で述べたようにインターネット・カフェも数軒あります。おそらくこれからはブータンでも、インターネットがもっともっと普及していくのでしょう。そうなったら、近代化の負の側面も含め、外国文化がどんどん入って来るのは避けられません。インターネットは、頑なに独自の文化を守ってきたブータンの社会にどう影響するのでしょうか。ITは、昨日書いたブータンの国家コンセプトである「GNH(国民総幸福)」に寄与できるのでしょうか。この答えが出るのは、もう少し先のようです。
その1999年に開業したブータン唯一のインターネット・サービス・プロバイダーは、「DrukNet(ドゥルックネット)」という名前です。実は先日、僕もこの「DrukNet」に加入しました。ブータンに来てからのこのHPの更新は、全て「DrukNet」のおかげです。僕が加入したのは短期滞在者向けで、加入から90日以内で最大20時間使用できるというカテゴリーです。これで、600Nuでした(ブータンの通貨単位はヌートラムといい、Nuと表す)。日本円に換算すると、約1500円くらいでしょうか。
僕が滞在している首都ティンプーのホテルには、ビジネス・センターにコンピューターが一台置いてあってインターネットが使えます。これは一分間使用につき5Nu(約12円)です。ホテルのそばにはインターネット・カフェもあって、こちらは一分間につき2Nu(約5円)とられました。ブータンに着いて何度か、ホテルのビジネス・センターやインターネット・カフェでインターネットを試しましたが、どちらも恐ろしくスピードが遅いです。例えば30分間使用したとして、このうちの20分はただ画面が現れるのを待っている時間です。しかも当然ながら、ブータンのコンピューターでは日本語の読み書きができません。これではあんまり意味が無いので、思い切って「DrukNet」に加入したという訳です。今は、愛用の「DynaBook」から「DrukNet」にアクセスしてこれを書いています。
2001年末時点で、「DrukNet」への加入者は約千人に達したそうです。ブータンの人口は約70万人ですから、インターネットの普及率は単純計算で700人に一人の割合です。首都ティンプーには、上で述べたようにインターネット・カフェも数軒あります。おそらくこれからはブータンでも、インターネットがもっともっと普及していくのでしょう。そうなったら、近代化の負の側面も含め、外国文化がどんどん入って来るのは避けられません。インターネットは、頑なに独自の文化を守ってきたブータンの社会にどう影響するのでしょうか。ITは、昨日書いたブータンの国家コンセプトである「GNH(国民総幸福)」に寄与できるのでしょうか。この答えが出るのは、もう少し先のようです。
GNPよりGNH~国民総生産より国民総幸福
開発援助に携わる我々の間では、ブータンに関するちょっと有名な話があります。それは、「ブータンは国家の目標として『GNH(Gross National Happiness~国民総幸福)』を追求する」と内外に宣言していることです。「GNP(Gross National Product~国民総生産)」ではなくて、「GNH」です。要するに、国家の役割は経済一辺倒の発展を達成することではなくて、国民の幸福を最大限に導くことだという素晴らしいコンセプトです。
このブータンの国家コンセプトは、僕なんかが聞くと非常に共感できて、正に国家の理想の姿のように思えますが、多くのエコノミストにとっては、とてもユニークでどうも訳のわからないものなんだそうです。そういったエコノミストの中には、「そもそも幸福の定義は何なのか」とか、「GNHが国家目標なら、その達成を測る指標はあるのか」といった質問をする人がやたらに多いです。特に、西洋的価値観に基づいた教育を受けてきた人は、こういうことを言うような気がします。今回ブータンに来てからも、僕のチーム内で似たような議論になりました。僕の個人的な意見を言わせていただければ、幸福の定義なんて一人一人違うんですよ。僕が幸せと感じることも、他人は幸せとは感じないかもしれないでしょ。あえて定義を探せば、「幸せとは、欲求と現状のギャップが小さいこと」を言うんでしょうね。欲が無く現状に満足していれば、貧しくとも幸せを感じることはできるでしょうし、逆に、いくらお金持ちで物質的に恵まれていても、欲が深ければ幸福感は少ないかもしれません。従って幸福感は精神的なものに大きく左右されるので、そんなものを測る指標なんてあるわけないのです。
だからブータンを見習って、GNPなんていう指標で国家の発展度を測るのは、もうやめにしませんか。そもそも、経済的豊かさと幸福感の間に相関関係はあるのでしょうか。GNPが高い日本の国民は、GNPが低いブータンの国民より幸せなのでしょうか。GNPよりGNH。ヒマラヤの小国ブータンが、世界に大きな問いかけをしています。
このブータンの国家コンセプトは、僕なんかが聞くと非常に共感できて、正に国家の理想の姿のように思えますが、多くのエコノミストにとっては、とてもユニークでどうも訳のわからないものなんだそうです。そういったエコノミストの中には、「そもそも幸福の定義は何なのか」とか、「GNHが国家目標なら、その達成を測る指標はあるのか」といった質問をする人がやたらに多いです。特に、西洋的価値観に基づいた教育を受けてきた人は、こういうことを言うような気がします。今回ブータンに来てからも、僕のチーム内で似たような議論になりました。僕の個人的な意見を言わせていただければ、幸福の定義なんて一人一人違うんですよ。僕が幸せと感じることも、他人は幸せとは感じないかもしれないでしょ。あえて定義を探せば、「幸せとは、欲求と現状のギャップが小さいこと」を言うんでしょうね。欲が無く現状に満足していれば、貧しくとも幸せを感じることはできるでしょうし、逆に、いくらお金持ちで物質的に恵まれていても、欲が深ければ幸福感は少ないかもしれません。従って幸福感は精神的なものに大きく左右されるので、そんなものを測る指標なんてあるわけないのです。
だからブータンを見習って、GNPなんていう指標で国家の発展度を測るのは、もうやめにしませんか。そもそも、経済的豊かさと幸福感の間に相関関係はあるのでしょうか。GNPが高い日本の国民は、GNPが低いブータンの国民より幸せなのでしょうか。GNPよりGNH。ヒマラヤの小国ブータンが、世界に大きな問いかけをしています。
ブータンで赤飯とヤクを食べる。
今日は首都のティンプーから車で3時間くらい東に走り、ワンデュという町に行ってきました。往復6時間も山道の曲がりくねった道路を走っていると、気分が悪くなってきますが、何とか持ちこたえました。このワンデュという町で、赤飯を食べました。ブータンの御飯は赤いんです。まるで日本の赤飯のようですが、小豆は入っていません。日本の赤飯は小豆を入れるから赤い色になりますが、ブータン政府のラデン・ペマさんによると、ブータンの赤い御飯は元々そういう種類のお米なんだそうです。結構おいしかったです。それから、ヤクの干し肉も食べました。これはまるでビーフ・ジャーキーのようで、ビールのつまみに持ってこいですよ。ヤクという動物は、毛皮に覆われた牛の一種です。ブータンのような高地の厳寒地に生息しているので、寒さから身を守るために牛が進化して長い毛皮を身につけるようになったのかもしれません。地球温暖化のために、このヤクの生息地が減っているというのを、何かで読んだことがあります。
その他に食べたブータン料理で美味しかったのは、「ケワ・ダツィ」というジャガイモをチーズで煮込んだような物です。これは本当に美味しくて、どんどん食べられます。この「ケワ・ダツィ」以外にも、ブータン料理はチーズを使った物が多いですね。それと、やっぱり唐辛子もいろいろな料理によく入っています。
ブータンの厳しいドレス・コード
ブータンの人々は日本人みたいな顔をしている人が多いので、とても親しみが湧きます。ブータンの男性が着ている「ゴ」という民族衣装も、日本の着物か丹前に似ています。ただ、この「ゴ」は膝までの長さしかなく、男性はみんな膝まで隠れるハイソックスをはいています。女性の民族衣装は「キラ」と呼ばれ、こちらは足首まで隠れる巻きスカートのような物です。男性も女性も必ず袖口を折り返していて、衣装の色とは異なる袖の裏地がワンポイントになっています。男性の「ゴー」では、この袖の折り返しは必ず白でなくてはならず、また、折り返しの長さは階級によって異なるんだそうです。「ゴ」も「キラ」も様々な色や模様があり、とても綺麗です。ブータン人はお洒落ですね。
ブータンでは、外出時にはこの民族衣装の着用が義務付けられているといいます。本当かどうかは分かりませんが、公の場で民族衣装を着ていないと逮捕されるということも聞きました。仕事で訪れる政府関係の建物の入り口には、「民族衣装を着ていない者は立ち入り禁止」という張り紙もありました。独自の文化や小国のアイデンティティを守るために、ドレス・コードが厳しいのかもしれません。僕のような外国人は例外ですが、それでも政府関係の建物に入る際はネクタイの着用を勧められました。
早春の首都ティンプーも、まだ朝晩はかなり冷え込むので、街を行くブータン人はとても寒そうに見えます。この民族衣装着用義務のためか、コートやジャンパーを着ている人は皆無で、みんな首をすくめ、両手を袖口に入れて寄り添うように歩いています。寒さをしのぐには、「ゴ」や「キラ」の下に重ね着をするしかないようです。特に男性は膝から下はハイソックスだけなので、寒そうです。コートを着たり、ズボンを穿いたらもっと温かいだろうなあと思いますが、そこは寒さしのぎより、国のプライドやアイデンティティといったものが優先しているようです。もう少し暖かい時期に再びブータンに来れたら、僕もブータンの「ゴ」を着て街を歩いてみようと思います。日本人の僕が「ゴ」を着たら、きっとブータン人に間違われるでしょうね。
ブータンでは、外出時にはこの民族衣装の着用が義務付けられているといいます。本当かどうかは分かりませんが、公の場で民族衣装を着ていないと逮捕されるということも聞きました。仕事で訪れる政府関係の建物の入り口には、「民族衣装を着ていない者は立ち入り禁止」という張り紙もありました。独自の文化や小国のアイデンティティを守るために、ドレス・コードが厳しいのかもしれません。僕のような外国人は例外ですが、それでも政府関係の建物に入る際はネクタイの着用を勧められました。
早春の首都ティンプーも、まだ朝晩はかなり冷え込むので、街を行くブータン人はとても寒そうに見えます。この民族衣装着用義務のためか、コートやジャンパーを着ている人は皆無で、みんな首をすくめ、両手を袖口に入れて寄り添うように歩いています。寒さをしのぐには、「ゴ」や「キラ」の下に重ね着をするしかないようです。特に男性は膝から下はハイソックスだけなので、寒そうです。コートを着たり、ズボンを穿いたらもっと温かいだろうなあと思いますが、そこは寒さしのぎより、国のプライドやアイデンティティといったものが優先しているようです。もう少し暖かい時期に再びブータンに来れたら、僕もブータンの「ゴ」を着て街を歩いてみようと思います。日本人の僕が「ゴ」を着たら、きっとブータン人に間違われるでしょうね。
ブータンの首都ティンプーより
水曜日のお昼頃ブータンのパロ空港に着きました。バンコックからパロへのフライトは、途中ミャンマーのヤンゴンとバングラデシュのダッカに寄る予定でしたが、この日はヤンゴンで降りる人もヤンゴンから乗る人もいないということで、ヤンゴンには寄らずダッカを経由しただけでした。ミャンマーには行ったことがないので、空港だけでもどんなところか見てみたいと思っていたのに残念です。まあ、この点は帰りに期待します。このパロへのフライト中、ブータンが近づくにつれて、雪に覆われたヒマラヤの山々が機内から一望でき壮観でした。左手には、エベレストの尖がった山頂がくっきりと見えました。そしてヒマラヤ山脈の中に突然見えてきた盆地が、ブータンで唯一空港のあるパロという町でした。
そのパロから曲がりくねった山道を車で一時間半くらい走ったところに、首都のティンプーがあります。今はそのティンプーに滞在しています。ブータンは、ようやく長い冬が終わり早春を迎えています。子供達の3ヶ月という長い冬休みも今週で終わり、来週から新学期が始まるそうです。標高が約2300メートルというティンプ ーは、春とは言っても朝晩は摂氏0℃くらいまで冷え込みます。ホテルには小さなヒーターしかないので、結構寒いですよ。それでも太陽に近いせいか、日中は陽射しが強く感じられ、気温も10℃~15℃くらいまで上がります。さてイントロはこれくらいにして、次回からブータン見聞録の始まりです。
そのパロから曲がりくねった山道を車で一時間半くらい走ったところに、首都のティンプーがあります。今はそのティンプーに滞在しています。ブータンは、ようやく長い冬が終わり早春を迎えています。子供達の3ヶ月という長い冬休みも今週で終わり、来週から新学期が始まるそうです。標高が約2300メートルというティンプ ーは、春とは言っても朝晩は摂氏0℃くらいまで冷え込みます。ホテルには小さなヒーターしかないので、結構寒いですよ。それでも太陽に近いせいか、日中は陽射しが強く感じられ、気温も10℃~15℃くらいまで上がります。さてイントロはこれくらいにして、次回からブータン見聞録の始まりです。
ドラゴンに乗ってブータンへ
バンコックに着きました。ワシントン~成田が14時間、成田空港で数時間の待ち合わせ後、成田~バンコックが7時間ということで、ほぼ丸一日飛行機に座っていたことになります。さすがに疲れました。疲れを癒す間もなく、あと3時間ほどでまたバンコックの空港に戻らなければなりません。いよいよ水曜日の早朝、バンコックからブータン国営の「ドゥルック航空」で地上最後の楽園と呼ばれるヒマラヤ東部の秘境ブータンに入ります。ちなみに「ドゥルック」とは、ブータンの言葉で「ドラゴン(龍)」という意味だそうです。
ブータンに飛んでいる飛行機は、この「ドゥルック航空」しかありません。この「ドゥルック航空」は機体を二機持っているだけで、インドのデリーとカルカッタ、バングラデシュのダッカ、ネパールのカトマンズ、ミャンマーのヤンゴンなど周辺国の主要都市と、タイのバンコックに就航しているだけです。僕が乗るバンコックからの便は、途中ヤンゴンとダッカを経由して、5時間半ほどかかってブータンで唯一の空港があるパロという町に到着します。「ドゥルック航空」は、国際的な予約システムに組み込まれていないため、チケットを手配するのも一苦労でした。結局、ワシントンの旅行代理店ではチケットの予約ができず、クライアントであるブータン政府に予約をお願いすることになりました。
ブータンは長らく鎖国状態にあったり、1999年までテレビが禁止されていたりと、独自の文化を守るためにユニークな政策を実行してきた国です。そういう国がグローバリゼーションとIT化の影響をどう受けているのか、仕事以外でもいろいろ見てこれたらと思っています。まあそんな余裕はないかもしれませんが。インターネットも使えるかどうか、行ってみないと分かりません。少なくとも、僕が使っているAOLのアクセス・ポイントはないようです。
ブータンに飛んでいる飛行機は、この「ドゥルック航空」しかありません。この「ドゥルック航空」は機体を二機持っているだけで、インドのデリーとカルカッタ、バングラデシュのダッカ、ネパールのカトマンズ、ミャンマーのヤンゴンなど周辺国の主要都市と、タイのバンコックに就航しているだけです。僕が乗るバンコックからの便は、途中ヤンゴンとダッカを経由して、5時間半ほどかかってブータンで唯一の空港があるパロという町に到着します。「ドゥルック航空」は、国際的な予約システムに組み込まれていないため、チケットを手配するのも一苦労でした。結局、ワシントンの旅行代理店ではチケットの予約ができず、クライアントであるブータン政府に予約をお願いすることになりました。
ブータンは長らく鎖国状態にあったり、1999年までテレビが禁止されていたりと、独自の文化を守るためにユニークな政策を実行してきた国です。そういう国がグローバリゼーションとIT化の影響をどう受けているのか、仕事以外でもいろいろ見てこれたらと思っています。まあそんな余裕はないかもしれませんが。インターネットも使えるかどうか、行ってみないと分かりません。少なくとも、僕が使っているAOLのアクセス・ポイントはないようです。
アジア人の男性モデルを探しています。
アメリカではカタログ商法が盛んなのか、郵便受けにはほぼ毎日のように、何らかのカタログが入っています。ファッション関係のものが多いですが、おもちゃや雑貨、家具など何でもありです。そのカタログを見て気に入った商品があれば、電話により注文し、在庫があれば大抵は数日から1週間くらいでその商品が送られてきます。うちの妻も、時々このカタログ商法を利用しています。
ファッション関係のカタログに登場する女性モデル達は、当然ながらとても綺麗で、白人、黒人、アジア系など実に多彩な人種がいます。しかしながら、男性モデルはとなると、白人と黒人のモデルしか見たことがありません。アメリカにアジア系の男性モデルはあんまりいないようです。
と、まあイントロはこれくらいにして、本題に入ります。あれは、アメリカに来て割とすぐでしたから、多分1995年頃です。実は、そのアジア系男性モデルにならないかと、スカウトされたことがあるんです。えっ、誰がって。この慶長がです。ヴァージニア州アーリントンの街を歩いていたら、ある白人の中年男性が近づいてきて、「Good-looking(カッコいいね)!アジア人のモデルを探しているんだけど、やってみない?興味があったらここに電話して」と、名刺をくれました。その名刺には、本当に「○○モデル事務所」と書いてありました。
早速このことを職場の同僚や友人に話すと、「どうせ、デパートのチラシか何かの冴えないモデルだろ。やらない方がいいよ。」とか、「そいつは絶対ゲイだよ。モデル事務所の名を語ってお前をおびき出し犯そうとしているに決まっている。アジア人男性は、その筋には人気があるんだ」とか、ネガティブな反応ばかりでした。そう言えば、アメリカに来てから、男にウィンクをされたことが何回かあります。
僕ははっきり言って、「モデル」に興味があったんですが、僕の周りでは「ゲイ説」を唱える人があまりにも多くて、結局そのモデル事務所には電話をしませんでした。でもしばらくは、スターへの階段を登る可能性に後ろ髪を引かれて、そのもらった名刺をなかなか捨てられませんでした。結局、その名刺を処分しようと決心するまでに、数年間を要しました。あの時、もし電話をかけていたら、今ごろは.....。
ファッション関係のカタログに登場する女性モデル達は、当然ながらとても綺麗で、白人、黒人、アジア系など実に多彩な人種がいます。しかしながら、男性モデルはとなると、白人と黒人のモデルしか見たことがありません。アメリカにアジア系の男性モデルはあんまりいないようです。
と、まあイントロはこれくらいにして、本題に入ります。あれは、アメリカに来て割とすぐでしたから、多分1995年頃です。実は、そのアジア系男性モデルにならないかと、スカウトされたことがあるんです。えっ、誰がって。この慶長がです。ヴァージニア州アーリントンの街を歩いていたら、ある白人の中年男性が近づいてきて、「Good-looking(カッコいいね)!アジア人のモデルを探しているんだけど、やってみない?興味があったらここに電話して」と、名刺をくれました。その名刺には、本当に「○○モデル事務所」と書いてありました。
早速このことを職場の同僚や友人に話すと、「どうせ、デパートのチラシか何かの冴えないモデルだろ。やらない方がいいよ。」とか、「そいつは絶対ゲイだよ。モデル事務所の名を語ってお前をおびき出し犯そうとしているに決まっている。アジア人男性は、その筋には人気があるんだ」とか、ネガティブな反応ばかりでした。そう言えば、アメリカに来てから、男にウィンクをされたことが何回かあります。
僕ははっきり言って、「モデル」に興味があったんですが、僕の周りでは「ゲイ説」を唱える人があまりにも多くて、結局そのモデル事務所には電話をしませんでした。でもしばらくは、スターへの階段を登る可能性に後ろ髪を引かれて、そのもらった名刺をなかなか捨てられませんでした。結局、その名刺を処分しようと決心するまでに、数年間を要しました。あの時、もし電話をかけていたら、今ごろは.....。
寄付で成り立つアメリカの大学
もう大分前ですが、僕はアメリカのオクラホマ大学で修士号を取りました。とは言っても、ほとんどの単位は故郷・八戸の隣町にある米軍三沢基地内のオフキャ
ンパス・プログラムで取ったんです。昨日、オクラホマ州のその母校から手紙が来ました。ファンド・レイジングの要請です。早い話が、寄付のお願い。まあ、
現在僕がこうしてアメリカで暮らし、世界中へ出張して好きな仕事ができるのも、この大学のおかげなので、毎年最低限の寄付はするようにしています。寄付を
すると、大学のニューズ・レターや会報が年に何回か送られてきます。
昨日届いたその手紙によると、過去5年間にのべ7万2千人の卒業生が、オクラホマ大学に寄付をしているということです。年間平均1万4千人で、一口50 ドルからなので、最低でも年間70万ドル集めています。実際は、100ドル、200ドルと寄付する人もいるはずなので、その数倍は集まっているんでしょ う。オクラホマ大学は州立なので州政府からの補助金が与えられていますが、その他の主な財源は、学生の授業料と、さらにこの寄付金だそうです。驚いたの は、大学の運営費に占めるこの寄付金の割合が50%以上だということです。まあ、卒業生ばかりではなく、いろいろな企業が大口の寄付をしているのかもしれ ませんが。
僕は日本では、某国立大学を卒業しましたが、その日本の母校からは、ただの一度も寄付の要請を受けたことがありません。国立大学だから、国からの補助金 がかなり注ぎ込まれているのでしょう。日本は税金で強制的に集めて、お上がそれを分配する。アメリカは市民が寄付をしたいところに寄付をする。これは実に対照的なことですが、この日米の違いは、何も大学への寄付に限ったことではないような気がします。税金で分配するより、個人の意思による寄付に頼った方 が、寄付をするかしないか、そして寄付をする場合でも、金額や寄付をする相手を自分で決められるという利点があります。何も自分の母校に寄付をしなくて も、いい研究をしていると思う大学があれば、そっちに寄付をしてもいいんです。そうすることで、大学同士の切磋琢磨に繋がるかもしれません。ということで、今年もアメリカの母校に50ドル寄付します。最低金額ですいませんが...。
昨日届いたその手紙によると、過去5年間にのべ7万2千人の卒業生が、オクラホマ大学に寄付をしているということです。年間平均1万4千人で、一口50 ドルからなので、最低でも年間70万ドル集めています。実際は、100ドル、200ドルと寄付する人もいるはずなので、その数倍は集まっているんでしょ う。オクラホマ大学は州立なので州政府からの補助金が与えられていますが、その他の主な財源は、学生の授業料と、さらにこの寄付金だそうです。驚いたの は、大学の運営費に占めるこの寄付金の割合が50%以上だということです。まあ、卒業生ばかりではなく、いろいろな企業が大口の寄付をしているのかもしれ ませんが。
僕は日本では、某国立大学を卒業しましたが、その日本の母校からは、ただの一度も寄付の要請を受けたことがありません。国立大学だから、国からの補助金 がかなり注ぎ込まれているのでしょう。日本は税金で強制的に集めて、お上がそれを分配する。アメリカは市民が寄付をしたいところに寄付をする。これは実に対照的なことですが、この日米の違いは、何も大学への寄付に限ったことではないような気がします。税金で分配するより、個人の意思による寄付に頼った方 が、寄付をするかしないか、そして寄付をする場合でも、金額や寄付をする相手を自分で決められるという利点があります。何も自分の母校に寄付をしなくて も、いい研究をしていると思う大学があれば、そっちに寄付をしてもいいんです。そうすることで、大学同士の切磋琢磨に繋がるかもしれません。ということで、今年もアメリカの母校に50ドル寄付します。最低金額ですいませんが...。